121(2019.3掲載)

 『【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』
 
(ヒュー・グレゴリー・ギャラファー著、長瀬修訳、現代書館、2017.1)
 原題は BY TRUST BETRAYED: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich 裏切られた信頼

119_natisdoituno.jp"

(2月号からの続き)

V 医者によるベルトコンベア殺人

●国民全員が健康で生産的なドイツ

 ヒトラーの官僚は、国民全員が健康で生産的なドイツを心に描いた。大半の医者は黙々と同調した。 ギャラファーは医者に対してきわめて批判的。「これは流れ作業の殺人である」という帝国法務相のことばを引いている。 《ドイツの医者は組織的な安楽死を中止させるだけの力を手中にしていた。 参加への集団拒否もしくはある程度の数の医者が拒否の表明をしていたならば、計画の進行に立ちふさがることができただろう。》 にもかかわらずなぜ医者たちはT4計画に協力したのだろう。独裁者ヒトラーに抵抗することの危険を感じていたこともあるのだろうが、 本計画に賛同する者が多かったのではないか。

 官僚だけでなく、医者もまた「国民全員が健康で生産的なドイツ」を心に描いていたのだろう。登録用紙に自分の患者の状態をこまごまと書き込んだ。

 精神分裂病
 てんかん
 老人性疾患
 治療に反応しないマヒや他の梅毒性障害
 脳炎
 ハンチントン舞踏病や他の慢性神経性疾患
 5年以上施設に入所している者
 ドイツ国民でない者、もしくは関連する血統でない者

 以上のひとびとが「最終治療」の適用者となった。最後の項目はユダヤ人を念頭に置いたものだろうとおもわせる。 じっさいそうだったのだが、読み進めると妙な一文が現れた。「この人類愛に満ちた行為をユダヤ人に与えることを政府は望まなかった」 とニュルンベルク裁判で責任者の一人が証言しているのだ。《ドイツ民族を強化することが計画の原点だったのを思い起こせば、 この主張は筋が通っている。ユダヤ人やジプシーの血統の強化は望ましくなかったので、 彼らは少なくとも開始時点では計画から除外されていた。》いずれにしてもハナからユダヤ人は嫌われている。 どうしてヒトラーはそんなにユダヤ人を嫌ったのだろう。このテーマはわたしの手に余る。

 上に記したひとびとでも、従軍経験者は戦争で手足や正気を捧げたのだからという理由ではじめは対象外となった。 だがそのうち第1次大戦と第2次大戦のロシア戦線で爆弾性ショックを受けた者も処分された。 この殺人のニュースがロシア戦線に届くと、案の定兵士たちは激怒し戦闘意欲を低下させた。陸軍元帥がヒトラーに苦情を述べたほどだ。

●ベルトコンベア式殺人

 上級鑑定医師は、どの患者にも会ったことがない。移送担当の職員は患者の移送だけに関係あるのであり、 施設の職員は単に自分の仕事をしているだけだった。誰も良心の呵責に苛まれないしくみだった。

 政府の安楽死計画は1939秋から1941夏まで続いた。終わるころには計画の存在はだれもが知っていた。 教会は強硬に反対を唱えた。ヒトラーは安楽死計画の中止を命じた。しかし、身体障害者と精神障害者の殺人計画は続行した。 《ドイツ全土の医者は「生きるに値しない生命」しか持たない患者に「最終的医学援助」を執行し続けた。》 殺人は続き、基準や決定機関が鑑定医の手から離れ、現場の医者に移っただけだった。

 その結果、1939年には30万人いた精神障害者は、1946年には4万人になったというのだが、この数字はすこしおかしい。 本計画で殺されたのは全部で20万人だったはずだ。まあ正確な数字はわからないのだろう。

●アウシュビッツと同じガス室

 《殺人の方法は安楽死施設ごとで時期によって異なる方法が用いられた。ハダマーでは、公式の安楽死計画時には、一酸化炭素ガスで殺人が行なわれた。 試みられた方法の中で、これがもっとも「思いやりあふれる」方法とみなされたのである。 (中略)ハダマーのガス室は地下室に設置された。大きさは縦約五メートル、横約三メートル、高さ二メートル四〇センチである。 ガス室はシャワールームに見せかけられ、シャワーのノズルもあった。(中略)ガスが注入されて数分すると患者は疲れを感じ、 眠気に襲われ、その数分後には死んだ。患者は気づかないまま眠りについていた》アウシュビッツと同じ方法だ。 死体は地下の火葬場にストレッチャーで移された。(ところでわたしももし万一殺されるなら、一酸化炭素中毒を選びたい。)

 ハダマーの市民は煙突から煙が上がるのを見つめ、気の毒な犠牲者のことが頭から離れなかった。 風向きによって吐き気を催すにおいが流れてきた。子どもたちが口喧嘩すると親は「ハダマーの火葬場行きだぞ」と叱った。 ここで肝心なのは、市民もそこで何がおこなわれているか知っていたということだ。

●障害者を殺したのはヒトラーではなく医者

 《ドイツの医者を行動へ駆り立てた感情は世界中、どこでも見つけられる。異なるものへの根深い恐れ、 (中略)完璧な健康、完璧な肉体、完璧な幸せへの異常な衝動、みな世界共通である。》 《本書が伝えるのはドイツの医者の慢性患者への私的な戦争であり、患者側の勇敢な抵抗であり、何が起こっているかに気づいた社会の激怒である。》

 医者が殺したのは20万人以上のドイツ市民。《命を失ったのは社会の良き市民だった。 多くは死病にかかっていたわけではない。絶え間なく苦痛を訴えていたのでもなければ、著しく苦しんでいたのでもない。 殺されたのは、施設に収容されていた精神障害者、重度の障害者、結核患者、知的障害者である。 医者の目で「生きるに値しない」と判断された生命だった。(中略)これはナチス計画ではなかった。 この計画の生みの親は医者であり、実行者も医者だった。医者が殺したのである。ナチス党員の医者も多かったが、 大多数の医者はナチス党員ではなかった。計画を強力に支持した有力な参加者はドイツの指導的立場にあり、 国際的にも定評ある医学教授や精神病理学の権威だったのである。》これでは逆らいようがない。

 ギャラファーは、何かよほど医者に侮辱された経験があるにちがいない。そうでなければこれほど何もかも医者のせいにするはずがない。 医者はただ何の考えもなしに官僚的流れ作業による死の決定を下しただけなのだ。

 《第二次世界大戦中にドイツの医者が患者に何をしたかという問題を世界は概して無視してきた。》 それを白日のもとにさらそうというのが本書の目的だ。ドイツの医者は戦後まるで何もなかったかのように再度白衣を身につけた。 ニュルンベルグ裁判で訴追された医者もいたが、証言台に立った医者仲間は同僚に不利益な証言をしたくなかった。 現在の日本でもことは同じだ。医療裁判には、密室性の壁、専門性の壁、それに封建制の壁がある(これは医者同士のかばい合いのこと)。

●良心的な医者も

 《ドイツには一万五千人の医者がいたが、その半分近くはナチス党員だった。これほどナチス党員の割合の高い職業は他になかった。》 だが、密かに殺人計画に反対したり、公然と参加を拒否し生き抜いた医者も少なからず存在した。どうやって切り抜けたか。 《多くの患者は勤労可能で戦争遂行努力において重要と判断された。したがって対象外である。重度の精神病患者は老衰と誤記された。 老衰は対象ではなかった。見込みがないケースは医学部用の「研究資料」として記入された。これも対象外である。 この計画は功を奏し、命を救ったのである。》良識と知恵が死刑対象者を救った。

 ドイツ医学の質の高さは有名。1910年から1939年のあいだにノーベル医学賞を8回受賞した。 不思議なことに、ベルリンの医者の60%、ウィーンの医者の67%がユダヤ人だった。にもかかわらず彼らには反ユダヤ主義の傾向があった。 自己保身のための偽装だろうか。そのうち政府はユダヤ人医師を追放し始めるのだが。(つづく)