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 『【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』
 
(ヒュー・グレゴリー・ギャラファー著、長瀬修訳、現代書館、2017.1)
 原題は BY TRUST BETRAYED: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich 裏切られた信頼

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(4月号からの続き)

――最近の傾向――

 1987年連邦医師会は「知的障害者の優性的理由(遺伝的に損傷を持つ子孫の危険性)もしくは社会的指標(親としての義務が果たせない) による断種の許容性」に関するガイドラインを準備した。同ガイドラインの目的は、知的障害とみなされ、 自分で同意することができないと判断された出産可能な年齢の女性と子供のばあいに、医者が自分の発意で断種手術をおこなうのを許可することだった。 《この仮定はすべてナチス時代の医学が支持していたものである。》

 1994年、ワシントンポスト紙の精神科医に対する調査で《「四肢マヒで非常な身体的苦痛を訴える女性のケース」 となると数人が彼女の自殺する権利を助けると答えている。「自分もああなったら生きていたくない」と一人はコメントしている。 /救急医療の専門職員が、もし自分が四肢マヒになったらどう感じるかという質問に答えている。 三九パーセントが自分はもう駄目だと感じるだろうと答えている。三九パーセントだけが自分の生活に満足しているだろうと回答した。 /七〇パーセント以上の医療に携わる専門家が四肢マヒになるくらいなら死を選ぶとしている。しかし、 四肢マヒの人間に人生は生きるに値するかと尋ねれば、イエスという答えが返ってくるだろう。これは最近の高位四肢マヒ者(C四以上) に関する調査で裏付けられている。九二パーセントの人間が生きていてよかったと答え、生活の質が貧弱だとしたのは一〇パーセントに過ぎない。》

 やはり最重度障害者の代表としては頸損が選ばれるのだ。わたしはALSのひとのほうが厳しい状況に置かれていると思うが。

 日本ではそんな話は聞かないが、統一ドイツではネオナチが障害者に罵声を浴びせ、あるいは地下鉄の階段から突き落としているという。 ホテルの食堂で障害者とともに食事をした客の一人が10パーセントの返金を求める訴訟を起こしたさい、 裁判官は「吐き気を催すような体験」であったにちがいないと、原告に同調したそうだ。欧米人は「明日はわが身」 ということわざを知らないのだろう。このケースの詳細は分からないが、重複障害者(身体と知能両方とも重度の障害)があったばあい、 外見は尋常でなく、奇声を発し、大小便の失禁、嘔吐などお構いなしのばあいがある。

●慈善と生活保護

 ブレースというアメリカ人は、1874年に、「慈善は人間の高潔さと自己尊敬を堕落させ、すべての勤勉さと自己援助の習慣を破壊する。 慈善が続けば、生活保護者の集団は、貧困の状態を似た性格の子孫に伝えつづけ、まもなく地球上で最も堕落し、最も悲惨なひとたちになる」 と警告している。用語の解釈は現代日本とすこしずれているようにおもう。われわれは慈善といえばお金持ちが恵まれないひとびとのために 大金を出すということととらえているが、ここに記述された慈善はそれだけでなく政府の社会福祉政策をも示しているようだ。 わたしがいま受けている障害者手当は政府の慈善であり生活保護なのだろう。わたしが税金食いであるのはまちがいない。

 生活保護に関しては、現代と同じ意味で使われているようだ。迂闊なことはいえないが、現代日本に当てはめてみても、 一度この制度を利用すると容易には抜けられない。しかしほとんどの日本人は生活保護の実態を知らないようなので、一言申し添える。 世間一般は生活保護を表面的な漠然としたイメージで捉えているに過ぎない。朝日新聞2017.9には「高齢者に迫る『大負担増時代』 じわり拡大、全体見えず」という記事が載っている。記事は「それでも苦境に追い込まれる人は出てくる。 『最後の安全網』である生活保護は、より柔軟に利用しやすくしなければならない。」ということばで締めくくられている。 生活保護の実態をまったく調べたこともなく、ただ最後のよりどころなんだろうなと皮相な感覚で捉えているに過ぎない。

 事業に失敗したひとが無一文になり急場しのぎに生活保護制度に頼り、いずれ目鼻が付いたところで「ごやっかいになりました」 といって市民生活に戻っていくという図式を読者は思い浮かべているのではないか。とんでもないとだけいっておこう。 今のうちに法律を変えておかないと、日本はいずれ生活保護で破綻することになるだろう。ところが議員たちは現在の制度を変えると発言すれば、 ニンピニンのようにいわれ次回の選挙に落選することはまちがいない。これ以上いうと社会的な糾弾を受けることになる。 それに1級障害者のわたしは生活保護者よりたくさんの税金を与えられているからひとのことはいえない。

 税金食いであるが故に安楽死させるというのであれば、現代日本の高齢者も同様の憂き目を見ることにならないか。 高齢者は医療や介護などの面で、社会福祉制度のお荷物になっている。高齢者を安楽死させよという論調が国会で高まらないのは、 べつに彼らの人徳が高いからではなく、国会議員もいつただの老人になるかわからないからだ。自分の不利益になることは審議しない。

 親はどう思っているのだろう。(ドイツの話か)なかにはこういうことをいって執行者を勇気づける親もいた。 「こういった人間をどうして注射して眠らせてしまわないのでしょう。前線で健康な人間が殺されているというのに、 こういった人間の面倒を丁寧にみるなんて意味がないわ。そういった手筈を整えてくれる所があれば、私は行きますよ。 子供が死んでいれば心安らかに死ねるけど、このままじゃ誰がこの子の面倒を見てくれるのか心が痛みます」

 わが亡きあとこの子はどうなるのだろうかという問題は現代日本でも同じことだ。出生前診断がなかったころに生まれた障害児はどうにもならない。 ただその当時、重篤な障害児は数年しか生きられなかった。いまは医療の発達で数十歳まで生きられるばあいもある。

 最近、最重度の重複障害児を抱えた老母から聞いた話。ある母親から「出生前診断を受けたところダウン症という結果が出た。 それでもわたしは生みたい。どうしたらいいだろう」という相談を受けたという。「それではうちの子を1日貸すから、その結果で結論を出したら」 と答えたそうだ。口もきけなければ肢体もぐにゃぐにゃだ。実母は長年付き合っているから何とかなるが、 しろうとは1日どころか1時間でもへとへとになる。

 これもダウン症に詳しいひとから聞いた話だが、ダウン症母の会というようなものがあって、それに出席したら母親たちはみんな高齢者だったとのこと。 わたしは2004年の「障害中年乱読日記」bP9『セックスウォッチング――男と女の自然史――』(デズモンド・モリス著、羽田節子訳、小学館) で警告したはずだ。モリスはこういっている。「ダウン症の子を産む確率は40歳では30歳の8倍高いことを忘れてはならない。 45歳では27倍に跳ねあがる。/もう1つの欠点は、母親が40歳を過ぎてから産んだ息子では、 おとなになってからの精子の数が若い母親の息子の精子数より極端に少ない」と。

●アイスランドのばあい

 アイスランドにはダウン症の子がほとんどいない。なぜなら出生前診断で遺伝子に異常があるとわかると、 医者は「生むか生まないかはあなたの自由です。ただし国は障害児の面倒はいっさい見ない。すべて自費で育ててください」というそうだ。 100パーセントの母親は中絶することになる。アイスランド人を「ナチスだ」「大量虐殺者だ」と呼ぶ者も当然出てくる。

 だがアイスランドは北極に近く、一木一草生えないといっても過言でないような過酷な国で、家具をはじめ何から何まですべて輸入に頼っている。 一時期金融立国で財政をまかなっていたが、それがリーマンショックで国家は破綻寸前まで追いこまれた。 その後どうなったかマスコミは報じなかったが、気づいてみると地熱発電で得た電力をヨーロッパに売ってなんとか持ちこたえたようだ。 福祉制度は豊かな国にしかありえない。