128(2019.10掲載)

 『捕まえて、食べる 』
 
(玉置標本、新潮社、2017年発行)

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 1976年埼玉県生。ウェブ会社勤務ののち、30歳でフリーライターに。

 なんといっても新潮社刊だからねえ。オビがちがうよオビが。椎名誠・小泉武夫・高野秀行が一言ずつ寄せているんだもの。 新人のオビにこんだけそろえるとはねえ。

 それにしても魅力的なタイトルだ。わたしは子どものころから虫を見ると捕まえたくなるたちだったが、ジジイになったいまでも チョウチョやトンボを見ると捕虫網を振り回したくなる。捕虫網を持つことも腕を振り回すことも、 ましてや虫の入った網をくるりと反転させることもできないのだが。

 採集した虫を食いたくなったことはない。のち釣りに興ずることになり、これは食った。捕まえて食うのは原始時代からの遺伝なのだ。

 著者はカニ、ホタルイカ、スッポン、ザザムシ、野草、タコ、ギンポ。とにかく現地へ赴いて失敗もあれば成功もあるのだが、 捕まえて食べることに情熱を注ぐ。うらやましい暮らしではないか。こんなことばかりやっていて生活がなりたつのだろうか。

●わが白砂青松の時代

 これは今までにも書いたことだが、小学生のころには名古屋に住んでいて、夏休みになると祖父が知多半島の内海(うつみ)という海岸に 農家の離れを借りて、祖父、伯父一家とわが家が2〜3週間休暇をともに過ごした。なにしろ近所のお寺だか神社だかでは、 手づかみでクマゼミを捕まえられるようなところだったから、少年の心に強烈な印象を残し、わたしの従兄弟などは後年住居を知多半島に定めたほどだ。 だから今号は玉置には申し訳ないが、私的な回想のほうが多くなる。

 川をはさんで西海岸はいわゆる海水浴場、茶色くて低い波がチャプンと寄せるような穏やかな海。夜になると屋台がたくさん出るような賑やかなところで、 ときどきわれわれも橋を渡って赴き、爪楊枝で刺すと「プリッ」と皮がむけるような羊羹を買ってもらった。

 それにひきかえこちらの東海岸は波荒い岩礁地帯で海水浴客はまばらだった。施設といえば「涼み台」という柱と屋根だけのふきっさらしの木造建築だけ。 夜行くところといえばそこしかない。ときどき裸電球にカブトムシが寄ってくると大騒ぎをした。

 農家から東海岸まで防風林の松林を抜けていくのに数分かかったが、途中にあるドブ川(いや、水は澄んでいたからドブといっては失礼だろう) にはカニがいっぱいいた。シオマネキだったろうか。深くて子供では入りようがなかったから捕るすべがなかった。 名古屋の自宅の前のドブ川にはそんなものついぞ見かけなかったのでワクワクした。自宅前のドブだって家庭から流れ出るのは せいぜい米のとぎ汁だけだから、化学洗剤もなく今からおもえば清らかなものだ。ときどきイタチが走っているのを目撃したが、 これもできることといったら興奮することだけだった。ぼくらは高度成長前の、建設省が日本中の海や川をコンクリで固めてしまう 前の時代にかろうじて間に合ったのだ。まさに白砂青松の海を体験した幸せな子ども時代だった。

 すぐ水が漏れ入るような安い水中めがねを買ってもらった。シュノーケルなどこの世に存在することも知らなかった。 すこし潜ると岩という岩にムラサキウニがびっしりと付いていた。水中から岩によじ登ろうとするときにこれがじゃまでじゃまで。 ウニのとげを何度爪のあいだに刺したことか。ムラサキウニのとげはウニウニのびちぢみしていた。

 ああしかしこれが食えると知っていたらなあ。ムラサキウニだけでなく直径5センチはあろうかというフジツボが これまた岩という岩にがっちり付いていた。動物だとも知らない、何か得体の知れない貝ふうのものが岩にたくさんへばりついていた。

 大人になって海の家で「シッタカ」という張り札を発見。どんなものだかわからないからおそるおそる一家4人で一皿だけ注文したら、 うまいのなんの。取れたての塩ゆでだ。少ししか取れないから地元でしか食べられないのだろう。こんなのもいたような気がする。 シッタカなら取りやすいが第一それが食えるものだとは知らないから、食うことなど一切考えなかった。

 もしそれらが食えるものだと海水浴客が知っていたら、またたくまに数を減らしてしまったことだろう。なんでも知っていればいいというものではない。 知った上であえて手を付けないのが一番立派な態度だろう。

 あるとき泳ぎのうまい伯父が、沖のほうでイカの卵を取ってきた。ブドウのような房状のもので、首を伸ばして恐る恐る見ると、 なんとつぶつぶの一つ一つに小さなイカが入っているではないか。イカは生まれたときからイカなのだなあと思ってびっくりした。 子どもたちにひとしきり見せたあと伯父は沖へ戻しに行った。

●そうだったのかマテガイの捕り方

 マテガイの章だけは見逃せない(理由は後述)。場所がどことは書いてない。書くとひとが殺到するからだろう。8月後半の干潟。 この日の目的はアナジャコ。メンバーはSNSを通じて知り合った方々。最近はこんなこともやるんだねえ。古希のじじいには見当も付かない。 自分が主催した会なのに遅刻して、なおかつ誰も捕れてない。

 《アナジャコもダメ、アサリもダメ、もう諦めて帰ろうかとうなだれた目線の先に、泥を掘るための熊手ではなく、 怪しい白い粉の入ったペットボトルを持った不審な、いや不思議な人を発見、干潟なのに衣服がまったく汚れていないのも気になるといえば気になる。 どことなくエレガントな雰囲気すら漂っているオジサマだ。いったい何者なのだろう。/基本的に私は人見知りなのだが、 こういう時に躊躇は禁物だ。この一期一会は千載一遇。勇気を出してなにをしているのですかと聞いてみたら、 「マテガイ、塩で!」と、焼き鳥屋の常連さんみたいな通好みの返事が返ってきた、》

 さあこの先どうなるのだろう。子ども時代のわたしは、砂浜にポツポツと開いている穴に塩を注ぐとマテ貝がびっくりして跳び出してくると教わった。 ぜひやってみたいと思って海岸に塩を持参。ところが砂浜には無数の穴が開いており、それも貝が跳びだしてくるほど大きな穴ともおもえない。 何度か試みたがまるでその気配はないのでいつしか諦めてしまった。第一「塩を入れると跳びだしてくる」と教えてくれた大人だって、 やろうともしなかった。ムラサキウニもフジツボも目の前にいる。でも見たこともないマテ貝がひょっこり顔を出したらどんなに面白いだろうとおもった。

 そのマテ貝の捕り方が60年後にわかるのだ。

 だが塩がない。まさか初対面のオジサマからもらうのは気が引ける。そこでSNSで知り合っただけのつまり初対面のひとに、 車を持っているという理由だけで塩買いを依頼する。《いったい私は何様なのだ。本当に申し訳ないお願いをしたと思う。 でも後悔はしていない。だってマテガイを捕りたかったんだもの。》

 《わざわざ塩を買いに行かされた人の視線が厳しいのは気のせいではないだろう。そんな視線のレーザービームをそらしながらモゴモゴしていると、 見るからに干潟慣れしたおじさん(干潟にボートで乗り付けてきていた)が、「なんだ、マテガイか! よし、俺に任せろ!」と、 友人がアナジャコ用に持ってきた鍬(クワと読むようだ)をおもむろに受け取って、コーチ役を買って出てくれたのだ。 /干潟コーチに教わったマテガイの捕り方は以下の通り。》ああ、たのしみだなあ。

 《1.マテガイのいそうな場所(マテガイを捕っている人を探すと早い)を、シャベルや鍬で深さ5センチくらいを掘る。 /2.米粒大(ただしインディカ米)のマテガイの巣穴が見つかったら、その穴に塩を一つまみほど入れる。 /3.穴からマテガイが飛び出てくるのを待つ。理屈はよくわからないのだが、マテガイは塩分濃度に敏感なため、 急激な変化に驚いて飛び出てくるようだ。/4.出てきたマテガイを指先で摘んで、ちぎれないようにズボっと抜きあげる。 /なるほど、どうやらアナジャコ捕りとの違いは、「筆」か「塩」かだけのようだ。これならきっと私でも大丈夫。イメージとしては、 いきなり玄関をこじ開けて塩を撒き散らし、びっくりして出てきた住人を誘拐するみたいな感じだろうか。そう考えると相当ひどい話だな。 うん、この例え話は忘れてください。》

 その後、他のメンバーはバンバン捕るのに自分だけは捕れない。《この感じはあれだ、小学生の時、町内会のイベントで豚汁がふるまわれた時、 1人だけお椀を持っていくのを忘れてしまい、指をくわえていたのに似ている。いや、ちょっと状況が違うか。ちくしょう、 うまいたとえ話も思い浮かばず、なんだか悲しくなってきた。》わたしにも似たような体験がある。わかるなあ。

 結局1匹捕獲するのに成功した著者は、《巣穴を探す能力、飛び出たところを捕まえる瞬発力、 そしてちぎれないように引っ張る適度な力加減が必要で、なかなかゲーム性が高いじゃないか。なんだか幻想の世界でのキノコ狩りみたいだ。》 30分ほどのあいだに十分な量のマテガイを捕獲した玉置は、すっかりご満悦だ。