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 『おクジラさま――ふたつの正義の物語――
 
(佐々木芽生(メグミ)、集英社、2017年発行)

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 女性筆者のばあい略歴に年齢を書かないことが多い。Wikipediaで調べてやった(笑)。1962年、北海道生。青山学院大学文学部仏文科卒。 1987年に渡米し、それ以来ニューヨーク州に在住。世界40ヶ国以上を飛び回り、世界的な映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞など多数受賞。 2016年、長編ドキュメンタリー映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」発表。

T ドキュメンタリー映画とは

 なんだかモヤモヤして分かりにくい本。それをわかりやすくするのがわたしの役目なのだが。

 ことの始まりは、日本がかわいいイルカを虐殺しているというアメリカ映画「ザ・コーヴ」だった(2009年公開)。 和歌山県の寒村太地(タイジ)町がイルカを湾(コーヴ)に追い込んで海を真っ赤に染める残酷な漁をしていると訴える映画であるのに対して、 佐々木はそれに中立的反論をくわえる映画「おクジラさま」を作ったいきさつを書いている(いや、「おクジラさま」に対する論及は「あとがき」 に至って初めて出てくる。分かりにくいのはそのせい。)

  ●映画「ザ・コーヴ」を日本人が見ると

 まず映画のほうをYouTubeで見てみる。むやみに暗い画面で始まる。正面から撮影することを太地町民が許さないから、夜、 暗視カメラで盗撮することになるのだが、昼間の情景も暗視カメラで映すのはどういう意図だろう。 タイトルも黒をバックにヘタウマの字でTHE COVEとたどたどしく書いたような、おどろおどろしい雰囲気を出す。 ネットの「あらすじ」には「日本の太地町の入り江(コーヴ)で密かに行われていた恐ろしい事実を明らかにした、 アクション的要素に溢れたドキュメンタリーです。彼らは、入り江(コーヴ)でイルカが密かに惨殺されていたことだけに留まらず、 大量の水銀を含んだイルカ肉が、クジラ肉と偽装されて日本で売られていること、更には、有害なイルカ肉が、小学校の給食で出され、 日本の子供達に重大な健康上の被害をもたらしている現実も捉えています。」とある。水銀の話は初耳だった。それについては第U部で触れる。

 立入禁止の看板を背景に「漁師がナイフを持って襲ってくる」と信じがたいことをいう。本書によれば《外国人活動家は、 あの手この手で漁師や漁協の職員を挑発しては、怒る姿を映像に収めようとする。カメラを漁師に向けながら、黙って彼らの足を踏みつける。 「この野郎!」と怒った顔だけが大写しにされる。『ザ・コーヴ』では、そうして怒り叫ぶ漁師たちの姿が、いかにも凶暴に映し出された。》 イルカが殺され、狭い入り江が朱に染まる光景を執拗に映し出す。

●ドキュメンタリー映画とは

 日本ではドキュメンタリー映画というと、NHKが作るような公平性を保った報道番組の延長線上にあるもの、 という認識を持っているひとが多いのではないか。しかし、実際の「ドキュメンタリー映画」とは、作家が独自の視点で事実を自由に切り貼りして、 いいたいことを訴える表現手段というのが世界的理解なのだそうだ。

 日本の当事者や大声でこの映画を批判するひとの多くが映画を見ていなかったと佐々木は批判する。《「隠し撮り」は、アメリカでは合法であり、 そこを問題視するのも日本だけだった。》アメリカ人は自分のアタマで考えることを教育されている。だからきちんとした情報を太地町が発信していれば、 公平に判断してくれるはずだ。ところが捕鯨問題に関しては、反捕鯨を唱える環境保護団体からの情報しかない。

●アカデミー賞受賞に対する日本の反応

 2009年に「ザ・コーヴ」が劇場公開されると、大反響を呼び、「環境ドキュメンタリーのジェームズ・ボンド版。 中で描かれている大虐殺からすると、ホラー映画とも言える。何はともあれ、今年最高の映画」とアメリカでは激賞され、 この年3月7日ついにはアカデミー賞を受賞した。

 翌日太地町の町長は「映画は科学的根拠に基づかない虚偽の事項を事実であるかのように表現しており、遺憾に思う。 太地町における鯨類追込網漁業は、漁業法に基づく和歌山県庁の許可により、適法・適正に行っているものであり、何ら違法な行為ではない」 との声明を発表した。黙っていると相手のいい分を認めたことになる。だがアメリカまで届いたのはこの声明だけだった (これが佐々木のもっとも批判する点。後述するが、もはやインターネットを使って英語で発信しなければ負ける時代になったのだ)。

●ふたりのアメリカ人

 クジラ・イルカ漁に対するアメリカ人と日本人の感覚の違いを描いた映画ともいえる。作中おもにふたりのアメリカ人が登場する。

 リック・オバリー――1939年生。元イルカの調教師。1960年代のテレビシリーズ、『Flipper (邦題: わんぱくフリッパー)』 に出演した5匹のイルカを調教していたが、そのうちの1頭が死んでしまったことから、イルカを捕獲・飼育する産業への反対者になった。 いっときシーシェパードの顧問。『ザ・コーヴ』に本人役で出演。

 ポール・ワトソン――1950年生。カナダの環境活動家。国際環境保護団体グリーンピースの元メンバー。 日本の調査捕鯨を妨害した容疑で海上保安庁から国際刑事警察機構を通じて国際指名手配中。グリーンピースの非暴力主義に反対して脱会、 反捕鯨団体「シーシェパード」を設立。日本の捕鯨調査船にシュウ酸の瓶を投げつけたり、ゴムボートで体当たりを試みたりしたのもこの男ではなかったか。

●クジラとイルカの違い

 《現在八〇種類以上いると言われている鯨類のうち、成長したときの体長大体四メートル以下のものを「イルカ」と呼び、 それより大きいものを「クジラ」と呼んでいる。(中略)太地でよく捕れる「ハナゴンドウ」は、ボーダーライン上にある種で、 分類が微妙なのである。太地の人にとっては「ゴンドウクジラ」の一種だけれど、外国人にとっては「イルカ」なのだ。》ということは、 外国人にとってクジラは捕ってもいいものということになる。

●アメリカ捕鯨略史

 まずクジラに対する日本人とアメリカ人の態度を見てみよう。

 《アメリカ人は宗教のようにクジラを崇拝している》というが、とんだお笑いぐさだ。アメリカほどクジラを殺した国はない。

 (以下は「探検コム」に負う)ノルウェーで始まった大西洋の捕鯨は、乱獲によって、17世紀半ばにはまもなく太平洋に移っていく。 その後ハワイが捕鯨の主力基地になり、19世紀になると、アメリカは世界最大の捕鯨国になった。

 クジラの豊かな漁場がある日本近海には、毎年700隻あまりの外国船が来たが、その3分の2はアメリカ船だったといわれている。 ペリーが来て日本に開国を迫ったのは、捕鯨船団の補給基地が必要だったからだ(アヘン戦争における清国の敗北もあり、 1842年に江戸幕府は「異国船打払令」を「薪水給与令」に改めた。捕鯨船に燃料・水などの必要物質を与えること。 高校では「日米和親条約」と教わったが、項目と年号だけ教えても何にもわからない。ちょっと捕鯨に触れればいいではないか。 もう高校生なんだから。先生が知らないんだなきっと)。

 アメリカ人がクジラを捕る目的はひとえに鯨油。だからクジラの捕獲量は、頭数ではなく「バレル」、クジラから採れる油の量で計算された。 油を捕ったらあとはその場で捨ててしまう。油は灯油にされた。何千隻もの船に数万人もの船員が乗り(年換算か?)、 数十万トンのクジラを捕獲した。そしてアメリカの鯨油は、世界中の灯火となり、産業革命を牽引する道具や機械類の潤滑剤となった。 話しはそれるが、蒸気機関の発明が地球自滅への引き金を引いたとわたしは考えている。

●日本捕鯨略史

 一方、日本ではクジラは、肉・軟骨・内臓は食用、歯やヒゲは工芸品、筋は弓の弦、さらに血も脂も薬用に重宝された。 古くから「クジラ一頭七浦うるおう」といわれた。1頭捕れれば7つの村がお祭り騒ぎだったのだろう。 こうして、日本では、石油が登場しても捕鯨は終わることなく、長く続いてきた。ささやかな営みだ。

 太地が本格的捕鯨基地になるのは17世紀。網を使った捕鯨が発明された。このころには大船団を組織した。 多いときには500人に及んだという。捕鯨の役職は世襲制だったので、今でも太地では苗字を見ると祖先の役職がわかるという。

 《現在も捕鯨を続けているのは、日本全国で四ヶ所。和歌山県の太地町、宮城県の鮎川、千葉県の和田浦、そして北海道の網走。》 IWCで管理されていない小型鯨類を捕って沿岸捕鯨を細々と続けている。太地町は、IWC総会に代表団を送り込んでいる。 当時の町長は下関会議の総会で訴えた。「太地町およびその近辺では、ごく最近まで日常的に鯨肉を食してきました。 鯨肉は、住民にとって貴重なタンパク源でありました。何世紀にもわたって住民の間で定着した食文化を守り、その文化を後世に伝えたいという思いには、 切なるものがあります。生物の持続的利用という観点から、増えすぎている鯨種の捕獲は許されるべきであると考えています。 以上、私たちの主張をご理解下さいますようお願い致します」なんと切々とした訴えだろうか。しかし反捕鯨国は、まったく理解を示さず、 さらに新たな捕鯨禁止海域の設定をこの会議で提案した。

 2017年には《環境保護団体の情報拡散によって、欧米では、すべてのクジラが絶滅の危機にあり、 それを日本が違法に捕獲しているという見方が定着していた。》だが実際のところミンククジラは逆に数が増えている。

 アメリカが先住民生存捕鯨の対象として捕獲枠を求めているクジラ2種のうち、問題となっているのは、 アラスカのイヌイットが捕るホッキョククジラだ。推定生息数は、北太平洋におよそ7800頭。アメリカは5年間に280頭の捕獲枠を要求している。 一方、日本が捕獲を求めた北太平洋のミンククジラの数は、2万5000頭のうちの50頭。パーセントでいえば、 日本が0.2%なのに対してアメリカは3.6%だ。アメリカは日本の18倍も要求している。

 アメリカはなぜイヌイットのためにそれほど尽力しようとするのか。先住民を迫害してきたという歴史的背景があるからだ。

●イルカ1頭数千万円?

 佐々木、初めて追い込み漁の船に乗る。《獲物を見つけると船団は扇状になって鉄管を木槌で叩き、水中に音の壁を作る。 鯨類は、この音を嫌がって反対方向へ逃げようとする。そこで漁師たちは獲物が陸の方へ逃げるように音の壁で半円を作って、 最後は入り江に追い込んで網を下ろす。(中略)追い込み漁はアグレッシブな漁という印象が強いが、 実際は双眼鏡で海を眺め狙った生き物が出現するのを待つだけ。》

 追い込み漁は世界各地でむかしからおこなわれてきた。今はあまり捕れない。乱獲が原因だとも地球温暖化による海流の変化ともいわれる。

 《水族館用に捕獲するイルカの値段は、一頭につき七〇万〜一〇〇万円。食用に捕殺するのと比べると値段は100倍近い。 しかし『ザ・コーヴ』が映画の中で主張するような大もうけできる一大ビジネスでは決してない。映画では、 イルカの生体1頭につき数千万円単位で世界の水族館に売り飛ばしていると言うが、それは仲買業者が手にする金額であり、 漁師たちの手元に入る金額ではない。/傷を付けずにイルカの生体を捕獲する技術、それは今世界で唯一、太地町の漁師たちだけが持っているものだ。》

●海のない国がIWC加盟急増

 Wikipediaによれば。国際捕鯨委員会(IWC)は、鯨資源の保存及び捕鯨産業の秩序ある発展を図ることを目的として設立された国際機関。 日本の条約加入は1951年。設立当初から1970年代半ばまでは、加盟国はおよそ十数ヶ国で推移していた。 主要加盟国は、ノルウェー、英国、日本、ソ連、オランダなど南極海捕鯨操業国、デンマーク、オーストラリア、米国、 カナダなど沿岸捕鯨操業国であった。

 1970年代後半から加入国が急激に増加し、1980年代には40ヶ国前後がIWC加盟国となった。 これは、ペルーなどIWC非加盟捕鯨操業国および非捕鯨国に対して米国などから加盟が強く促されたことによる。 ヨーロッパはほとんどが反捕鯨。海がないから捕りようがない。中央・南アメリカも同様。

 《世界の多くの国から送り込まれた政府の代表者たちが、クジラという動物を巡って――しかもほとんどの国がクジラとは無関係であるにもかかわらず ――紳士的な顔をして互いを誹謗中傷している。この不毛な会議を毎年セレモニーのように開催していることの無駄とバカバカしさ。 こんな国際会議が存在するのかと、私は呆れると同時に、怒りを感じた。》2017年、加盟国の数は89ヶ国、国連加盟国のほぼ半数。

●産業革命が変えた欧米の伝統

 《スコットが言う。/「伝統とか文化だというのはわかります。ただ長く続いているからといって正しいこととは限りません。》 といって奴隷制、カタルーニャの闘牛、イギリスの狐狩りなどをあげる。捕鯨という残酷な習慣をやめられるはずです。

 《私はスコットのこの発言を聞いて、初めて「伝統」に対する考え方が、日本と欧米でとでは大きく違うことことに気づいた。 日本人は長く続いた伝統は、できるだけ原形をとどめて後世に伝えることが重要だとする。/しかし、欧米人は違う。産業革命で新しい技術を次々に開発し、 文明化を進めてきたという歴史的背景がある。だから古くて時代に合わなくなったものは、どんどん壊すべきだとという認識を持つ。》

 お歯黒や切腹も西洋と対等にやっていく上で野蛮だとして廃止されたではないか、それなら捕鯨という残酷な伝統もやめられるはずだと。 どうだかねえ。幕末明治期に来日した外国人が日本を褒め称えた心の底には、産業革命以前に経験した己の幼少期に対する郷愁があった (『逝きし世の面影』渡辺京二、葦書房)。

 クジラの「超能力」やイルカの賢さについてはわたしも知っている。だが牛や馬のかわいさ、猫や犬のかわいさはどうするのか。 アフリカではあの偉大なる象でも食うのだ。人間以外のものはすべて人間の食料だとキリスト教では教えている。(つづく)