136(2020.6掲載)

 『旅の窓からでっかい空をながめる』
 
(椎名誠、新日本出版社、2019.6)

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 「東京スポーツ」連載「風雲ねじれ旅 世界さまざま」に連載したものを大幅に加筆修正。 もう探検物の注文は来ないのかなとおもう。1944年生まれということはわたしより5歳年上。 2019年で75、6だ。昔からこういう兄貴がいたらどんなに心強いかとおもっていた。
 先年30年ぶりにお会いしたら、精悍さはそのまま、貫禄が増していた。

 のんびりした写文集。各篇にのんびりした短文、写真が1枚。南国の話が4分の3、北国の話が4分の1。 ラオス、ミャンマーなどの市井のひとたちを撮った写真は心落ち着く。

●いかにして写真を撮るか

 椎名はある国に着いたらまず市場へ行く。欧米や日本の食品はたいていパッケージングされていて味気ない。 その点、アジアの途上国では素材がじっくり眺められる。犬もうろついている。 わたしも全身マヒの身で工夫をこらしながら写真を撮るから分かるのだけれども、なかなかさりげなく美しい写真は撮れないものだ。 《与えられた食べ物に満足して、まだ客のあまり来ない夕刻前に、そこらに無造作に寝転がっている犬のいる風景が大好きだ。》 わたしだって好きだけど、そんな写真撮れない。もともと外出時間は限られているし、遠出はできない。

 「よく働くラオスの子供たち」では、天秤棒を担いだ少女の写真。女の子は水くみ、男の子は川で魚取りに精を出し、 よく働くからみんな丈夫そうな顔と体をしている。どうしても日本を批判したくなるようで、文末に、 ある村に日本人が置いていったカセットテープレコーダーがあったが、 《そうとう古いもので電池など手に入らないこういう村では時間がたつと何の役にも立たなくなるものだ。 (中略)見ていて嫌な気持ちになるのは物質最重要主義の権化を目の当たりにしている反感が大きいからだろうか。》

 「ラオスの百発百中少年」は、小学校高学年ぐらいの少年が首から手作りパチンコをぶら下げて微笑んでいる。 われわれ昭和少年団も店で売っている、あるいは手作りのパチンコで盛んに遊んだものだ。いまは危険物とみなされ売ってない (念のためアマゾンを見たら売っていた)。昭和少年と違ってラオス少年は遊びではない。 山の中に入っていき、リス、イタチ、キジなど野生の生物を狙い撃ちするのだ。《話をもっと聞いていくと、 とらえてきたリスやキジは自分の家の通りに面したところなどを使って吊り下げておき、売り物にするのだという。》売れ残ったら夕食に供される。

 「モン族はいつも盛装している」は、盛装したモン族の少女がアップで写っている。生まれて初めての写真だそうだ。 こういう時は、いやこういう時にかぎらずほかの写真もどうやって撮るのだろう。"Photo, OK?" とか声をかけるのだろうか。 英語が通じる地域とも思えない。

 日本の写真コンクールでは「人物を取るときは必ずご本人の承諾を得たものでなければならない」という注意書きがある。 こないだ車椅子にカメラを装備して近所に出かけたら、保育園の散歩に出くわした。小さい子は4、5人乗りぐらいの乳母車に乗っている。 かわいいので先頭を歩いているお兄さんに「写真撮っていいですか」と聞いたら、「ダメです!」と厳しい声で一喝されてしまった。 いやな世の中だなあ。

 モン族は言葉が通じないのでやや警戒的だが、《族長のような人に早めにあって鏡とか縫い針 (そういうものが喜ばれる)などをプレゼントすると簡単に歓迎態勢となる。》なるほど、族長にプレゼントね。
 そうかとおもうと草原レスリングを見に行った帰り、着飾った貴婦人たちが集まってきて写真に収まり「撮った写真はいつくれるのか」という。 《アフリカやアマゾンでも、子供たちを撮るとそう言われることがよくあったけれど、おばさんたちはどの国でも最強である。 (中略)それぞれの住所がないと日本からは送れない。幸いなことに草原の民族の多くは、はっきり住所などない移動テントに住んでいるので、 結局は絶対に不可能な話なのであった。》いつごろの話か分からないが、いまは小さな太陽光パネルを持ち歩いているから、 ひょっとしたらスマホを持っているかもしれない(基地局がないと駄目なのかしら。そのての話は苦手)。

 チベットでのことだ。高度5000メートルぐらいの高地を巡礼するひとびとを相手に商売をするローティーンの娘さんに出会った。 大きな犬を連れている。《写真を撮りたいので、そのことを頼むと、いともあっさり、構いませんよ、という返事だった。》 被写体を見て雰囲気を察する、それも大切な方法だろう。度胸もいる。

 チベットの聖地ラサまでの巡礼は「五体投地」(トウチかとおもっていたがgoogleにはトウジとある) すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して祈りながら、1年かけて進む。直立不動でぶっ倒れるのだろうか。 《毎日、何時間も五体投地拝礼を続けている人たちの中にはまだ小学生ぐらいの子供もまじっており、 どの子も激しく大地に頭を叩きつけるので、額に大きなコブができている。 (中略)少年たちは友人らと次第にこのコブの大きさを競い合うようなことになっていて、このように一人の少年の写真を撮ると、 自分も自分も、という感じで同じような額のコブをつけた子供らが誇らしげに次々と集まってくるので圧倒される。》 少年の額にはほぼ正方形のコブができている。その斜め上に白いバンソコが貼ってあるのがご愛敬。

 黙って写真を撮ろうとすると、失敗することもある。市場で蛇を買おうとしているおばさんは、平気で生きた蛇を掴んで値踏みをしている。 外に出ると、雨が降っている。ぬれたまま帰るひともいるがレジ袋をかぶっているおばさんがいたので撮影しようとカメラを向けたら、 すぐに見つかってしまい、こっちを指さし何か大きな声で怒っていた。《どうもあまりにも正面から狙いすぎたようで、少し遠ざかりながら、 背中と横向きではあるけれど、その力強さの片鱗をパチリと一枚撮った。》そこで付けたタイトルが「中国のおばさんは強い」。 そうか、遠ざかって斜めから撮るといいのか。ベンキョーになるわ。

 「男の夢のカユイ家」 会社員のころ社員旅行というものがあって、会社丸抱えで年1回いろいろな観光地へ連れて行ってもらった。 幹事はその年の新入社員。釣り好きのわたしは旅行代理店の持ってきたパンフレットの1枚に「窓からヤマメが釣れる」という文句を発見し、 強く押したが通らなかった。

 ベトナムの湿地帯にある高床式の家の窓(網戸もガラスもない)からアルジらしき男が竿を伸べている。 対岸の椎名と一家は曖昧な笑みを浮かべながら相手を見ている。なかなか釣れない。 アルジは家の横にもやってあるサンパンと呼ぶ小舟を子供にこがせて椎名を家に招く。《こういうときは遠慮はいらない。 高床式の家の中や暮らしぶりがどんなふうになっているのか知りたかったので喜んでその家におじゃました。》 ビクの中には何種類かの小魚が入っていた。《このあたりは「洗面器ごはん」といって炊いたご飯に小魚の煮汁をかけて それを家族みんなで手を使って食べる。コメさえあれば取り敢えずの自給自足の生活がなりたっているようであった。》

●北の窓

 椎名はナーダムが好きだ。「もうじきもうじきナーダムの季節」という見出しからもそれが感じられる。 毎年7月がナーダムの季節。競馬、弓、モンゴル相撲がモンゴル全土でおこなわれる。とりわけ少年少女によって競われる競馬に興味があるようだ。 200騎から500騎の馬が、直線にして20〜40kmのコースを走る。コースといっても線なんか引いてない。
 相撲も土俵などなく、相手の背中を地に着けたほうが勝ち。《勝負が決まると、敗者は勝者の広げた腕の下を頭を下げてくぐらなければならない。 勝った者は両手をひらひらさせて勝利を全身で喜ぶ。その姿はアホウドリの真似だと聞いた。》まてよ、 アホウドリがモンゴルにいるだろうか。北太平洋の海鳥だ。日本では鳥島と沖縄にほんの少しいるだけ。 椎名も不審に思ったから「〜と聞いた」で締めたのだろう。

 みんなが待ち遠しくしているのは少年少女による競馬。300頭出走などということになるとものすごい迫力らしい。 どうも一度ゴール地点に集合して、それからスタート地点に戻り出走。騎手は小学校高学年から中学生ぐらい。適当にスタート。 初速は時速60km、途中30〜40に落とし、ゴールまであと4〜5kmというところで再び60kmまであげる。

 馬に乗った少女がシルエットで写真中央にぽつんと写っている。今年5歳になるナランツェツェルだ。 その年の6月におこなわれるナーダムに出場できそうなので、もっとも寒い2月に特訓をしているのだ。 24kmを2時間で走る。《男の子も女の子もこのナーダムを完走すると大きく成長する、と言われている。》 ずいぶん早い年齢で大人になっていくのだ。

 たくましいといえば、男の子ももちろん負けてはいない。1月、チベットの奥地を旅していたら少年たちが野鴨を抱いて売っている。 日本円で15円。買わなかった。その夜は宿屋に泊まる予定だったからだ。鴨をどうやって捕まえたか聞いてみると――。 氷点下になる午前中に鴨が餌を食べに沼地にやってくるのを待ち伏せし、みんなで石を投げて捕まえたという。
 宿に着いたのは深夜。そのことと関係なく、チベットの主食はツァンパという裸大麦の粉にヤクの乳をまぜて食う。 《冷たいし、乳にかなり癖があるのでこれまで世界でいろんなモノを食ってきたぼくだがなぜかこの味には馴染めずにいる。 唯一温かいものはバター茶だ。/防寒服を着たまま震えてツァンパ団子を食べる。やはりあの少年たちから野鴨を買って それ相応のお金を払って宿の人に鴨鍋を作ってもらうべきだったなあ。とつくづく思った。こういう旅を重ねていくと、 その道中で出会った食物は「神の恵み」と考えてとにかく買ってしまうべきだ、 というあとのまつりの悔恨のままその夜は防寒着のまま眠ったのであった。田舎になると暖房は台所のストーブしかない。》
 わたしには絶対無理。わたしはよく「いたざむい(痛寒い)」という。暖房の効いた部屋で毛布や布団をかぶっていても、体が痛いと寒く感じるのだ。

「北極圏のカリブー狩り」
 カナダの北極圏でイヌイットの家族にカリブー狩りの旅に連れて行ってもらったときのこと。 冬は簡単にマイナス30度ぐらいになってしまうが、夏はプラス数度になって、足もとは柔らかいツンドラ。 カリブーは氷や雪の溶けたツンドラに生えてくる苔を食って集団で移動する。
 椎名がここで強調するのは、「狩人の名人のおじいさん」なんてのはウソだということ。仕留めたカリブーのそばに片膝立ててすわる少年は、 12歳。《狩りにはまず遠くをきっぱりみきわめる視力がいる。遠くのカリブーの群れをみつけ、風下から接近していく。 でもカリブーもバカじゃないからたとえ風下でも自分に危害をあたえそうな奴をすぐに察知して群れは走って逃げる。 それを重い銃をもち、走って追いかける。ツンドラというのは思いのほかやわらかくスポンジの上を走っていくような感触だ。 いろんなところに割れ目があり、足を突っ込んだら狩りどころではない。 /少年は狙ったカリブーと、足もとのツンドラの割れ目の双方に視線をはしらせ、とにかく全速力で追っていく。》
 カリブーの肉は松阪牛よりうまいという。60〜70kgのカリブーで4kgほどの胃袋を持っている。 《食べた苔がパンパンになっていて半分ぐらい胃液で溶けている。それをバターのように肉に塗って食べる。 冬のあいだ人間にはまったくとれなかった植物性ビタミンをそうやって補っているのだろう。》 肉食獣も草食獣をしとめたさいにはじめに食べるのは内臓だ。
 こういったらなんですけど、わたしはいま本と光キーボードとモニター画面の3つをほぼ同時に見つめてパソコンを打っている。 ここにマウスポインターが重なると、マウスを動かすセンサーを片目で見、ポインターの行方をもう片方の目で同時に追いかけなければならない。 目が4つくらいないと追っつかない。とにかく眼球そのものが衰えてきている。生きるのはつらいことだ。 こうやって作文をしても誰も褒めてくれないし。「狩人の名人のおじいさん」なんていないと書くとき、 椎名の胸をよぎるのは若いころ書いた探検記ではないだろうか。
 僻遠の地の少年少女はみな早熟だ。それは平均余命が短いからではないだろうか。大人になって業績を上げるのは、寿命が許さないのだ。

 「うらやましい畑の中の小屋」はラオスの話だったが、土地開墾をしている男たちが掘っ立て小屋の中で雑談している風景は まことにうらやましいと書いている。椎名は東南アジアが大好きなのだ。『ぼくは眠れない』 (椎名誠、新潮新書、2014.12)のなかでは、途上国には「不眠症」など存在しないという体験的考察も開陳している。 「バリ島の『ケチャ』や『ガムラン』の軽い音だけを静かにBGMとして流しているホテルの夜は心地よかった。 『ぼくはここにいるあいだ毎晩、眠るためのクスリなど飲まずにごく普通に柔らかい眠りに入っていった。 /よく眠れたのは、それなりの取材仕事があったので毎日あちこち動き回っていたし昼は白砂の広がる海浜レストランで、 波の音を聞き太陽の光を浴びながら冷たいビールとともに簡単な昼飯を摂っていたからだろう。太陽の光は睡眠物質であるメラトニンを脳内に作る。 (中略)ぼくはかなり世界各地の田舎を旅しているが、 途上国には『不眠症』など存在していないのだろうなあ、というのを体験的に知っている。」
 ガムランのCDでも買ってみようかな。だけどわたしは24時間背中に激痛がある。毎晩大量の睡眠薬と鎮痛剤を飲んでいる。 それでも爽快な朝など迎えられない。