138(2020.11掲載)

 『東京貧困女子。――彼女たちはなぜ躓いたのか――
 
(中村淳彦、東洋経済新報社、2019.4)

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(10月号のつづき)

U 介護事業失墜

 《急激に景気が悪くなった裸の世界では、関係者が関係者を恐喝するみたいな事件が頻発して、私はウンザリして圧倒的な需要があると注目されていた 介護事業所を始めた。/介護という社会福祉事業に逃げれば、醜い諍いから逃れられると思っていたが、 介護の世界はそれまで見たこともないような困窮した人々の巣窟だった。/介護福祉士という国家資格を持つ専門家が、 行政の監視の下で手取り14万〜16万円程度の低賃金で労働をさせられて、「ご利用様のありがとうが報酬です。高齢者様に感謝しましょうね。 みんな、本当に素晴らしい仕事に就けてよかったですね」などといった信じられないロジックが正論として定着していた。》

 今(2020年代)では、こんなロジックは正論となっていない。その証拠にそんな低賃金に就く者はいなくなっている。介護事業所は人集めに必死だ。

 《虐待、精神疾患、借金、自傷、人身売買など、過酷な物語は日常的にAV女優たちから聞いた.そして、介護現場はありがとう、 感謝と言いながらパワハラやセクハラ、虐待、ブラック労働があふれていた.湧きあがるさまざまな違和感の点と点を線で結んだのは、 小泉純一郎政権から本格的に始まった新自由主義という路線だろう。》これが第2の問題点。

●風俗嬢と介護士、共通項は貧困

 わたしが就職した1970年代まで、いやそれよりもっとあとまで、会社に就職するといえば正社員になることだった。 それがいまや非正規職員、要するにバイトのほうが圧倒的に多いのだそうだ。若者は貧困にあえいでいる。

 何が原因で日本の労働事情はそんなことになってしまったのか。官の業務を民に移管したからだ。 その結果、地方公務員の平均賃金が600万円なのに対して、現場介護職は300万円になった。 《徹底して現役世代を軽視する介護業界の体質に、私は慄然とした。》一時期「アウトソーシング」という言葉が流行ったことがある。 要するに「下請け化」のことだが、官僚が意味の分からないカタカナ語を使い出したら、それはごまかし、まやかしのことだとおもったほうがいい (アウトソーシングも和製英語)。それまで公務員が担っていた介護はまっさきにアウトソーシングという名のもとに下請け化された。

●介護施設経験――ひとは長時間労働でうつになる――

《じつは、私は以前、貧困層をターゲットにしたレスパイト型(デイサービスとショートステイ)の介護施設の運営でブラック化させたことがある。 だから、恐ろしさがよくわかる。自分がしたことを簡潔に説明すると、お泊まりデイサービスという低賃金層に向けた24時間営業をしたことによって、 労働基準法を逸脱せざるを得ない状態に追い込まれた。/スタッフは次々とおかしくなり、もっとも介護度が高かった事業所では、 1年以上働いて健康を害さない者はない。全員、精神状態がおかしくなった。いま思えば、2000年代のブラック労働が称賛されたことになる。 /最終的には手伝ってもらった妻がうつ病になって、家庭がメチャクチャになり、元の状態に戻るまでまでに2年くらいかかった。 ひとは長時間労働によって、体力的・心理的な負担がかかると、簡単に壊れてしまうことを知った。私は会社と事業所を潰した。 /2000年代のブラック企業問題は、大手服飾メーカーや居酒屋チェーンが新卒採用した若者を次々と潰したことでやっと大問題になった。 家庭だけでなく、国と地域が投資をして育ててきた若者が一企業の利益のために潰される、ということが許されるはずがない。 彼らが名指しで非難されたのは至極まっとうなことだった。/うつ病を筆頭に精神疾患になってしまうと、働きたくても働けなくなる。 家族や親戚、また福祉制度など、なにかしらのセーフティネットに頼らない限り、当事者は生きていけない状態に追い込まれる。 セーフティネットにたどりつかなければ、深刻な貧困状態となる。ブラック労働をさせない予防は、社会には絶対に必要なことなのだ。》

 国立中高一貫校(偏差値75)から国立大学、アメリカの大学院を卒業している。母親が過保護、過干渉の毒親で精神を病んだようだ。 生活保護。《進学した中高は精神疾患の子だらけでした。中学3年になるとクラスの女子の半分くらいがリストカットして、 学校側はリストカットする生徒の名簿をつくっていた。私、自傷はしないので三者面談で先生が「あなたの娘さんは、精神状態は大丈夫です」 みたいなことを言ってました。》 偏差値75の出身校は毒親育ちの子が多い。壮絶ないじめも蔓延している。

●生活保護は連鎖する

 生活保護世帯の親は、子供の教育にまったく興味がない。
 《貧しい人々は余裕がない。来月再来月を乗り切ることしか考えられないので、子どもの教育のような長期的展望に気を向ける余裕はない。 (中略)中卒や高卒で多くが社会人になった自分世代の感覚で、「高校なんか行かなくていい、無駄だ」みたいなことを子どもに言ったりする。 /さらに彼らは生活保護受給に後ろめたさはなく、働いていない状態でも自己評価は高い。(中略)自己評価が高い貧困者は、 たいてい「俺も大学なんて行っていない。そんなもの必要ない。俺も大学なんて卒業しないで生きてきた」と声高にいう。》貧困は連鎖する。

 彼女は先日まで生活保護制度や自己破産の制度を知らなかった。日本は申請主義といって、自ら役所に行って困窮を訴えなければ、 向こうから御用聞きに来てくれるわけではない。実家にいたころ、地元のハローワークに行った。「この学歴だと介護しかない」と担当者にいわれて、 ヘルパー2級を取った。《資格を取ってグループホームで2年間なんとか頑張ったけど、完全に精神をおかしくしてしまいました。》
 現在の生活保護制度は矛盾に満ちている。改正は喫緊の課題。なのに議員が声を上げないのは、 不人情な人物と見なされてつぎの選挙で落選するのが怖いから。

 2009年から「重点分野雇用創造事業」というものが始まった。これは団塊世代が後期高齢者になる2025年までに、 介護の人材不足は38万〜100万人不足するといわれているので、手に職のない失業者をみんな介護職に誘導するためだ。 研修期間中の月々の生活費を支払い、介護施設を紹介。採用した介護施設には助成金が支払われる。
 《介護職の賃金は63業種のなかで圧倒的な最下位だ。》彼女はグループホームに就職。正規雇用で月給13万円。残業代を含めると15万円。 介護現場の人間関係はメチャクチャ。虐待、パワハラ、セクハラ。精神疾患が蔓延している。

●やりがいのある風俗

 風俗の話になると途端に表情が明るくなる女性がいる。「風俗は自分が頑張っただけ収入が増える。派遣はいちばんの成績を上げても、 1円の還元もない」《兼業風俗嬢になってからの収入は、手取り21万円に風俗で稼いだ12万円を加えて、月33万円。 休日を潰して風俗バイトに勤しみ、性的行為を繰り返し、ようやく男性の平均賃金531万5000円(国税庁調べ)の8割弱になる。 (中略)女性がカラダを売る仕事に就くキッカケはほぼ100%が経済的な問題であり、(中略)かつてのような過剰な消費を繰り返して破綻したり、 ヤミ金に手を出してやむをえず風俗で働くというケースは数少ない。ほとんどの女性は月3万〜5万円程度のお金が足りなくて、 その選択をしている。》そうかなあとわたしはおもうのだが、著者はあくまでも《同一労働同一賃金でも住宅扶助でも、男女平等でも、 仮になにかしらの形で一般女性の可処分所得が月3万〜5万円増えたり、男性と同等程度に実質賃金が向上すれば、風俗で働く女性は大幅に減少する。 続々とカラダを売る世界に女性が流れている現状は、個人というより、もう国の問題なのだ。》 あまたの女性を取材している著者のほうが正しいのはわかりきったことだ。
 女性の収入を過去も現在も低く設定しているのは、男性が女性をオモチャにするためではないかと思えてくる。 みんな母親という女性から産まれているというのに。

●図書館司書の8割以上は非正規職員

 《介護や貧困の取材をしていると、国の意図や意向は透けて見えてくる。正直なところ、国や行政の公務員以外の職員には、 お金を払うつもりはまったくないといえよう。公的事業を手伝ってくれる国民や市民を貧困層として生活させようという自覚があって、 意図的に労働者を貧困ギリギリのラインに落とし込んでいる。》ここは分かりにくいのでわたしの知っている範囲のことを補足しよう。 たとえばそれまで正社員として働いていた職員が、あまりの重労働に体を壊して退職し、非正規として復職すると、同じ労働をさせられて賃金は半分になる。 公務員が9時から5時までの労働で、5時近くなるとタイムカードの前に行列を作るなどというのはまったくのデマ、あるいはバブル時代の話だ。

 《私は福祉や介護業界の取材で、非正規化にどっぷりと依存する公的事業の絶望的な現実をみてきた。/特に介護は人手不足が問題となっていて、 国や行政は予算を付けて若者を介護に引き込もうと必死だ。予算がついているので、未来のない貧困地獄への誘導に、 多くの関係者や意識が高い学生団体などが加担している。/私は機会あるごとに「未来のある若者は福祉職に就いてはいけない。 生産をして稼いで税金を払おう」というニュアンスのことをいっているが、福祉という聞き心地のいい産業の宣伝文句は凄まじく、 夢を見たい若者たちはそのような現実的な言葉は届かない。》

 最近は特に介護関係者に精神疾患が多い。《数年前、精神病院に措置入院する直前の元AV女優のゴミ屋敷に行ったことがある。 もう一歩も外に出られないという陰性症状だった。(中略)数ある精神疾患の中で、特に多いのはうつ病だ。 1999年の44万1000人から急激に増加して、2014年には111万6000人に達している(厚生労働省調べ)。 その罹患者の増加は、見事に雇用が不安定になった労働者派遣法改正の時期と重なっている。》
 いざ現実を知ると、こんなはずじゃなかったという不満を抱える。若者を食い物にしようという業者や学生団体は、 若者たちに資格研修や自己啓発セミナーのような商品をあてがい、結果的に長期間に及んで搾取する。貧困ビジネスの最たるものだ。

 2000年4月に介護保険制度が始まったときは、それまで公的機関が担っていた介護が民間に移譲された。老人社会の到来は確実だったから、 介護とは無縁の居酒屋までが介護事業所を始めた。《素人が介護事業所に手を出すと、まず介護保険請求や行政から求められる複雑な書類整備に混乱する。 高齢者や障害者に対するサービスより、書類整備に追われて介護はおろそかになる。そして不正請求や虐待、違法労働という負の連鎖がはじまる。》
 知らなかったことが一つ。介護現場では不倫が横行しているそうだ。24時間営業の居宅型介護施設では、時間が不規則で家庭もうまくいかず、 いつも一緒にいるスタッフ同士だからすぐ恋愛関係になってしまうという。(つづく)