2021年3月号

 特集:ヒヨドリ

 まずは2月号冒頭の「特報! 朝日俳壇に入選!」に触れなければならない。わたしが入選したかのような戯れ文ではあったが、 原稿を書く段階ではまだ当該俳句が朝日新聞に発表されていなかったのでやむを得なかった。 まあこんなこともあろうかと「脱線劇場」にしておいたんだけど。
 入選した佐藤ひとみ氏の句は

「派遣切られ抱きし児の指す冬薔薇(ふゆそうび)」(2021.1.24 高山れおな選)

でした。なお佐藤氏は男性。本名は「朕」の字の月ヘンを目ヘンに代えた字。
 この句を読んだわたしはすぐさま佐藤氏に 「いいねえ。わたしの大好きな川柳作家鶴彬を連想しました。 中野重治の詩に 「おまえは歌うな おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな」 というのがありますね。あれも連想した。 派遣切りをされた若い母親。抱かれた幼子が何の屈託もなくバラを指さしたというのですね。両者の対比がより悲哀を増すというものです。」 というメールを発した。

●写真俳句について

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朝日新聞「アスパラ写真俳句塾」入選作

 さて今月はヒヨドリの写真を掲載したいのだが、その前に触れておかなければならない写真がある。

 ベッド頭上の壁に六つ切りワイドの写真を飾っている。床の間の掛け軸のつもりで始めた。 わが家にはヘルパー、看護師など週に10人ぐらいのひとが来る。その人たちを歓迎するつもりだった。 掛け軸は春夏秋冬季節に合ったものを掛けるのだと聞いた。年に4枚あればいい。
 ところが写真はもっと撮るので、飾る写真の数が増えた。いろんなひとの批評を聞くのも楽しみだ。 あるひとが朝日新聞の「アスパラ写真俳句塾」への投稿をすすめてくれた。「最優秀作には10万円出るのよ、おやりなさいよ」 各種コンクールがあることは知っているが、新聞も雑誌も読まないし、ほとんど家から出ることがないのでそういう情報に触れることがない。
 その情報を聞いたときすぐさま断ったのは、俳句なんか作ったことがないからだ。だが父親(藤川玄人(はると))が70過ぎて俳句を始め、 めきめきと腕を上げて各新聞の俳句欄に顔を出すようになった。奸計が浮かんだ。父親に写真数葉を見せ俳句を付けてもらうのだ。 果たせるかなこの写真に「常(とこ)(ぶ)しの我が身忘るる鵯(ひよ)の舞」というわたしの身になりかわった句を付けてくれた。 それを見たときは、「これで一等賞が取れる。一等賞の10万円をもらったら山分けしような」と父に電話した。父は「さあ、どうだかな」という。
 わかるのだ。わたしは大学を卒業してからけがをするまで出版一筋の編集者だった。写真は小さめの風景を選んだ。 というのも、ほかの投稿者の写真を見ると、えらく大きな風景を選んでいる。大きな紙焼きなら迫力もあろうが、 新聞に掲載されるときは小さなサイズで出るにきまっている。そういうことを知っている。
 しかし朝日新聞の記者から「最優秀作入選」の電話をいただいたときは、いささか後ろめたかったので慌てた。 「わたしひとりで作った作品ではなく家族の協力も得たものなので……」そんなことは分かっている、森村さんは俳句を見て、 こいつ初心者ではないなとおもいわたしのHPを読んだという。結局朝日新聞としては作品がよければあとのことは気にしないという雰囲気だった。 かくて2010年10月11日、「アスパラ写真俳句塾」にわが作品が掲載された。61歳だった。

 総評のなかで森村さんは《藤川景さんの最優秀作は、窓枠に仕切られたわずかな視野に舞う鵯(ひよどり)に託し、 寝たきりの身を忘れて自由な空間をはばたいている。ベッドに縛りつけられてはいても、窓からの眺めは広大な空間へとつづいている。 鵯が舞っているのではなく、寝たきりのわが身が舞っているのである。》と書いてくださった。

●「常(とこ)(ぶ)し」という単語

 「常(とこ)(ぶ)し」などという単語は初めて見た。父に問うと「自分の造語だ」という。ところがあるとき正岡子規の句にこの言葉を見つけた。 子規が使っているなら紛い物ではない。しかし『日本国語大辞典』を見ても出てこない。ひょっとしたら子規の造語かもしれないが、 彼ならその資格があるといっていいだろう。そんなわけでわたしも使わせてもらうことにした。

●なんとしても食ってやる

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接 近     →      最接近

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成 功

 メジロは蜜柑が好きだ。蜜柑を水平2つ切りにして窓辺の木に刺すと、すぐに寄ってくる。ところが蜜柑が好きなのはメジロだけではない。 ヒヨドリもすぐさまやってくる。それはいいのだが、ヒヨドリは体が大きいから、あっという間に蜜柑を食い尽くしてしまう。 なんとかヒヨドリに食わせずメジロだけに食わせる方法はないか。つかまるところがなければ食えないだろう。 そう思って百円ショップで30cmもあるS字フックを買ってきて、木の枝先のつかまる場所がないところにぶら下げた。 それでもフックにつかまって食う。つかまれないようにフックに油を塗った。ツルツルすべってあわてる様子は滑稽だった。 だが鳥類は人間よりはるか昔何億年も前から生息する先輩。なんとホバリングして食うようになった。