2021年5月号

《ずいひつ》

 黒パン

 もともと本稿は、障害老人乱読日記bP40として『生物学の基礎はことわざにあり――カエルの子はカエル? トンビがタカを生む?』 (杉本正信、岩波ジュニア新書、2018年3月発行)を論評するつもりで読みはじめたもの。
 「ジュニア新書」は油断がならない。岩波はジュニアをどう捉えているのだろう。ルビの多さから見て小中学生と思われる。 ところが読んでみるとやたらむつかしい。おまけに第1章は「犬は人につき、猫は家につく――動物の生態」。これを見てカチンときた。 この標題はわたしの数少ない犬猫経験と異なる。

 わたしは最初の妻との生活を杉並区下井草の2階建て木造アパートでスタートした。いまのようにいきなりマンションという時代ではなかった。 まだあちこちに畑や空き地の残っているころで、 わがアパートの出口にもゴミ置き場があり、そこでいつも餌をあさっている猫がいた。 あまり美しいご面相とはいえない顔、黒茶白黄色といろいろな模様の混じった顔だが、やさしい性格の猫だった。 ゴミ捨て場のあるじのようにいつもそこにいるので、 わたしはアルジーと名付けた。
 ある日アルジーは3、4匹の子猫を産んだ。わたしは会社員で昼間の様子は知らないが、親子仲良く暮らしているようだった。 ある日、そう産後まもなくアルジーは子猫の首をくわえてわたしの机の下に置いた段ボール箱に1匹ずつ運んできた。
 猫を飼った経験はないので、観察していると面白かった。兄弟でも雄雌大小いるのがわかった。子猫たちは必死になって箱から出ようとした。 大きめのオスとみられる猫(これはアニキと命名)は、小さくて弱々しい妹(シロと名付けた)の頭を踏んづけて箱から出た。 シロは文句一ついうことなく小さな爪をカリカリしながら登頂にはげみつづけた。
 アニキは傲岸不遜一本槍かと思うとそうでもなく、もう少し成長して外遊びをするようになったある日、よその猫がシロに近づき脅しにかかった。 するといつの間にかシロの後ろにアニキが忍び寄り、うちの妹に何か用かとでもいいたげによそ者を威嚇した。よそ者はすごすごと退散。 他に黒パンというのがいた。顔に黒縁が入っていて、パンダに似ていなくもなかったからだ。

 親子はわが家を出たり入ったり自由に行き来していた。ところがある日、アルジーが突然姿を消した。 母の友人でとても猫に詳しいひとがいたので相談すると、母猫というものは自分が育てられないと思うと子猫を捨てて姿を消すものだという。 「そんなバカな、アルジーに限ってそんなことをする猫ではない」とすぐに夫婦で結論を出し、子猫の育て方を尋ねた。 排泄は母猫が子猫の陰部をなめて促してやるように脱脂綿をぬるま湯で絞ってこする。授乳は2、3時間おきにぬるい牛乳を細いスポイトで与える。 一日中3時間おきに深夜もやった。猫は飲むのに必死で細い爪を立ててくるから、こちらは鍋つかみで防御態勢。排泄も授乳もうまくいった。

 ある日とんでもないことが起こった。会社から帰ると、わが家のドアに何やら張り紙がしてある。乱暴な殴り書きでガラス窓にセロテープで ベタベタと貼ってある。要するに「うちの大切な猫たちを貴様は無断で持ち去った。即刻返して謝罪しろ」というような内容。 わたしはどうしたものかしばらく考えて、その紙を丁寧にはがした。張り紙の筆者は2階の一室を仕事場にしている漫画家で、 いやもうそのころには劇画家という言葉がはやっていたか、3、4人の弟子を使って麻雀劇画といったようなものを描いているようだった。
 わたしははがした紙を持ち、アパートの鉄階段を静かに登っていった。内心は穏やかでない。もし4人の男を相手にしてゲバルトになったら、 わたしはアパートの鉄階段を転げ落ちる。ただではすまない。
 扉は全開になっていた。「下の藤川ですが、これはどなたが書いたものですか」返事がない。 そこで子猫たちは親猫がくわえてわが家に運んできたもので、決して盗んだものではないと言葉を足したが、やはり返事がない。
 「これを書いたかたは名乗り出て謝罪してほしい」少し語気を強めた。
 まったくの無視だ。だらしねえ野郎どもだと思う反面ほっとして、そのバカ紙を破り捨て静かに階段を降りた。

 数日後、劇画家はまたしても卑怯な手を使った。そのあたりに出入りしていた職人に子猫たちをすべて渡した。 わたしの猫ではないから文句をいう筋合いはない。
 2、3日後またしても思いがけないことが起こった。休日だったのかわたしも家にいたのだが、窓の外で「ゲーコ、ゲーコ」という鳴き声がした。 「黒パンだ!」
 急いで窓を開けると、アパートのまわりを囲った背の低いブロック塀に飛び乗り、そのままの勢いで部屋に飛び込んできた。 何日も鳴き続けながら走ってきたのだろう、喉はガラガラだった。いったいどれほどの道のりを走ってきたのだろう。しかも鳴きながら。
 結局わが家には黒パンだけが残った。といっても飼い猫ではない。出入り自由の野良猫だ。とてもよくなついていた。

 こんなこともあった。人間でいえば青少年に育った黒パンが、といっても生後2年ぐらいだっただろうか、ある夜とんでもない騒ぎを起こしてくれた。 台所の外で猛烈な攻撃的うめき声と悲鳴にも似た叫び声を上げだした。何事ならんと見に出ると、台所の窓の防犯柵にぶら下がっている。 よく見るとわたしが柵に郵便箱を取り付けるときに用いた針金と柵の隙間にしっぽの先を引っかけてしまい、身動きできなくなってしまったようだ。 野良猫のような幼時に栄養不足で育った猫はしっぽの先が丸まってしまうことがあるそうだ。
 助けてやろうと近づくと猛然と興奮する。柵に対して垂直に起き上がり、鋭い爪をむき出しにする。このまま放っておいたら翌朝には死んでしまう。
 「騒ぐな、騒ぐな、いま助けてやるから」
 わたしは部屋にとって返し、鍋つかみで自衛したうえでペンチを持ち、叫び声を上げている黒パンのしっぽのあたりの針金を「パチン」と切ってやった。 自由の身になった黒パンは、あっという間に夜の闇の中に逃げ去った。

 アパートに風呂はなかったが、近所に風呂屋があった。「神田川」の時代だ。夜、夫婦で風呂屋に行くとき、黒パンも一緒についてくるのだが、 風呂屋のある大通りに近づくのが怖くて畑の途中まで来るといつも同じ場所で「行ってらっしゃい」とばかりに一声二声鳴いて姿を消した。 そしてまたわれわれが同じ道を帰りながら話しているとその声を聞きつけ、「おかえり」とばかりに鳴きながら畑から走り出てきて一緒に帰るのだった。 わたしたちが外出するとき、駅に近づくとやはり繁華街が怖いのか縄張りの外だからなのか、途中の家の板塀を駆けのぼり、植込みの中にひそんだ。

 その日もそうだった。朝、ふたりと猫1匹が駅に向かい、自動車や駅の喧噪が近づいてくると、いつもの場所で黒パンは姿を消した。
 帰りは遅くなった。駅からアパートまで近道は1本だからいつもの道を帰途に就くと、不意に「ニャ」と遠慮がちな声が聞こえて、 それは紛れもなく黒パンの声だったから、わたしたちは「黒パン!」と大きな声で呼んだ。昼の明るいうちは木の上から通行人を眺めて われわれかどうか確かめもできようが、暗くなってからではそうもいかない。ひとが通るたびに遠慮がちな声をかけて反応を探っていたのだ。 おそらく飲まず食わずだっただろう。
 「黒パン、待っててくれたの。ごめんね」わたしたちは黒パンの体をもむようにさすりながらひとしきり謝った。

 その後わが家は高島平の公団住宅が当たって引っ越した。ペットの飼育は禁物だったから黒パンを連れていくことはできなかった。