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CONTENTS

「障害中年乱読日記」(2003.6〜2008.12 掲載分)→

「障害老人乱読日記」(2009.1〜 最新号)→

「脱線劇場」(写真・俳句・随筆ほか、2020年7月号〜最新号)→

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レーザー光線でパソコンを操作する

2023年4月号

《障害老人残滴日記》

 『SDGsの大嘘』
 
(池田清彦、宝島社新書、2022)

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   欲ばりすぎて失敗

しばらく前からテレビなどでさかんにSDGsということをいいだして、なんのことやらわからない。「オカマちゃんにも人権を運動」のことかと思ったらそうではなく、あれはLGBTだった。SDGsをうたったCMは、判で押したように「CO2排出量ゼロをめざす」という。地球の温暖化は太陽活動のせいであってCO2とは関係ないと池田は昔からいっている。



(宝島社HPから転載)

 上つ方が意味のわからないカタカナ言葉をつかいだしたら、要注意、まして頭文字の羅列においてをや。これはおそれおおくも国連がいいだしたものだから、みんなひれ伏した。「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)とのこと。だが本書でSDGsの実態を知ると愕然とする。

 目標の17ヶ条を掲げてみると――
1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤を作ろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任 つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう

 ああ疲れた。写すだけでタイヘン。CO2なんてどこにも書いてない。強いて言えば13か。

 3、4、8、9、11はインフラの話だから金があればできるが、すべての国でできるとは思えないし、1、2、6、7、13、14、15というエネルギー・食料・水に関する目標はかなりうさんくさいという。あちらを立てればこちらが立たない。美しすぎて危険。わたしは高校生など若いひとたちがだまされて、結果挫折して世の中に絶望することを危惧した。

すべて太陽の活動しだい

 みんな光合成を忘れている。光合成とは光と水とCO2で炭水化物をつくること。太陽の活動とCO2の量によって炭水化物の量は決まる。いまだにテレビコマーシャルで大企業は「CO2をゼロにするという目標を掲げるわが社はなんていい会社なんでしょう」と叫びつづけているが、障害老人乱読日記13(2010.1 掲載)『ほんとうの環境問題』(池田清彦・養老孟司、新潮社)でも指摘したように、池田も養老もCO2擁護派。なぜならCO2がなければ光合成ができない、生物が存在するためには必須なのだ、「そんなにCO2を出すのがいやなら、みんな息を止めて死んでしまえ」と養老は叫んでいた。あれには笑った。ふたりとも科学者だから非科学的な言説には我慢がならないのだ。本書でも池田が嘆くのはSDGsが非科学的だからだ。

 フジテレビの「ホンマでっか?!TV」を見て初めて池田の顔を知った。里芋のような顔の酒好き好々爺だった。テレビ番組の収録では「CO2なんか出しても問題ない」と発言しているのだが、オンエアのときは削除されていると、日本人の同調圧力を嘆く。

 ちなみに池田は上掲書で《未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が必要なのかこそが、日本の命運を左右する大問題なのだ。地球温暖化などという瑣末な問題にかまけているヒマはない。》《もしもエネルギー封鎖をされたらすぐに立ち行かなくなってしまう。日本の安全保障を考える上でも、日本国憲法を改正するかどうかなんて話は別にたいした問題ではなくて、まず、エネルギー政策こそが最重要課題のはずである。》と述べている。2008年の発言だ。地球温暖化はCO2のせいではなく太陽活動次第というのがふたりの意見。

 温暖化、温暖化と今にも地球が壊滅するようなことをいうが、太古の昔から温暖期と寒冷期はくりかえしてきた。そんなことは小学校のころ習ったではないか。いま学校の先生たちはSDGsをどう教えているのだろう。障害中年乱読日記49(2007.06 掲載)『アースダイバー』(中沢新一、講談社)では縄文海進期という語を知った。縄文時代の日本は今よりずっと気温が高く海の高さも高かったらしい。あれはじつに知的興奮に満ちたおもしろい本だった。

 「太陽光発電はちっともエコではない」という章では、いかに太陽光パネルが環境に悪いか、風力発電の巨大プロペラがいかに環境を害しているか、水力発電というとダムを連想して、わたしなども大反対なのだが、小規模な水車を並べるのは日本の川には向いているとか、地球温暖化の予測はどれも大外れだとか、「化石燃料起源のCO2の増加で地球が温暖化している」という説がインチキだとわかると、それで食っている産業、たとえば電気自動車などが困るので頬っ被りをしているとか、SDGsは要するに化石燃料の少ない欧州が生き残り戦略として唱えだしたものだと断ずる。

「人口を減らそう」という項目がない

 「海の豊かさを守ろう」という項目には驚いた。これをしようと思ったら魚をとらなければいいのだが、現実には世界の漁獲量はすさまじい勢いで増えており、このぶんでいくとそのうちまったくとれないという事態もありうる。もし漁獲量を制限したら、「貧困をなくそう」や「飢餓をゼロに」と衝突する。それを平気で並べるSDGsはうさんくさい。大量にとりまくっているのは中国。12億の民を食わせるためには形振りかまっていられない。それにもともと生魚なんか食わない中国人に寿司や刺身のおいしさを教えたのは日本人だからなあ……。

 世界の漁獲量が増えているといっても、その半分は養殖だそうだ。半分とはビックリ。日本は漁業世界一の栄光があるから漁獲が75%で養殖が25%。その漁獲量が激減している。大北海道物産展なんてのもほとんど輸入物なんだろう。タラバガニなんか95%輸入だもの。熊本県産アサリがじつは中国産だというニュースを聞いた。一度日本の海にまけば日本産になるというからくりだそうだ。

 「貧困をなくそう」「飢餓をなくそう」と「陸も豊かに」は矛盾するのだ。2000年の穀物収穫量は19億トン。最近は27億トン。飛躍的にふえているのは、農薬のおかげ。農業の効率化によってどれだけ多くのひとびとが飢えから救われたかわからない。だが農薬の影響で多くの昆虫が失われ、それを餌にしていた鳥も消えた。以前、佐渡島出身のひとから「こどものころは夕方になると空がトキで赤くなった」といううらやましい話を聞いたことがある。トキが消えたのはなぜかとたずねると、たんぼに農薬をまいたからだということだった。

 フィプロニルという農薬は、1回使用するだけだから環境に優しいというふれこみだが、1回だけですむということは、それだけ強い毒性を持つということ。アキアカネはこれで激減した。あるPTA会長がいうには、夏前に学校のプールの掃除をすると、ヤゴがいっぱい出てくるとのこと。こうやって生きのびているのだね。小学生の孫娘に聞いたら、朝礼のときうるさくてヤダという。

 ネオニコチノイドは人体には比較的やさしいが、昆虫には猛毒で、ミツバチはこれによって激減した。その点、遺伝子組み換え作物(GMO)は安全だと、またまた池田は意外なことをいう。遺伝子組み換え作物不使用をうたい文句にしている食品が多いのに。それほどわれわれはマスコミ・大企業にまどわされているのだ。

 諸悪の根源は人口増なのだ。世界の人口は19世紀初頭には16億5000万人だったのが、この100年で69億人に。爆発的に増えた。これを抑えないで1、2、6、7、13、14、15の実現はない。もしそれらの項目を強行すれば、自然生態系が消滅し、生物多様性も激減。挙げ句の果ては国家間の戦争にむすびつく。

 いまから7000年前の人類は狩猟採取生活で生きていた。世界人口も500万から1000万。仮にある集団がその地域に生息する1000頭のイノシシのうち900頭を食べていたとしても、翌年にはもとの頭数になっている。これは「持続可能な狩猟」。だが人口がふえてもっと多くのイノシシを食うと、イノシシは絶滅してしまう。これは「破滅型の狩猟」であって、そのせいで多くの生物が絶滅してきた。なんの本だったか池田は、1億数千年前にオーストラリアに侵入したアボリジニは、軽トラックほどもある亀を食い尽くしてしまったと書いていた。アボリジニが悪いわけではなく、そうやって生きのびた、それがアボリジニにとっての福祉だった。

 19世紀以来の爆発的な人口増の原因は、蒸気機関の発明とそれにともなう産業革命にあるとわたしはおもう。それはいまさらいってもしかたがないが、各地の戦争は結局ナワバリあらそい、資源争奪あらそいだ。エネルギー・食料・水を全生物でどう分けあうかが喫緊の課題であると池田はいう。ニンゲンばかりでなくあらゆる生物で分けあうという思想が新鮮だ。仮に人類が地球温暖化で滅んだとしても、つぎの生物相があらわれるだけで、何も問題はない。

 《人口減少というと、どうしても経済が衰退していくような非常にネガティブな現象のように捉えられがちだが、実はSDGs的な視点でみれば、これほどサステナブルなことはない。》と池田はいう。ここが本書のキモだと思う。

 グローバル資本主義をとる西欧諸国は、世界人口の増加をねがう。途上国の人口爆発によって安い労働力が手に入るからだ。これからの世を生きていく皆さんに必要なのは、AIとベーシックインカムだと池田はいう。AIが発達すれば、それほど多くの人口は必要なくなる。ベーシックインカムで最低限の生活は保障しなければならない。そんなにあくせく働く必要のない社会がやってくる。もともと農耕社会になるまで人類は一日3時間しか働かなかったのだから。

培養肉は世界を救う


 日本の里山は昔からSDGsを実現している。最も大切なのは里山で養える人口を厳密に守ること。次男、三男は里を出て自力で生きていくことを要求された。受け入れたのは江戸。

 明治時代になるまで日本人は米と野菜中心の食生活をいとなんでいた。江戸がほかのヨーロッパ先進国より優れていたのは、人糞を肥料にしたこと。糞尿を肥溜めで発酵させると良質な窒素肥料ができる。タンパク質は魚から摂った。そういう環境に恵まれていたのだ。肉食文化では家畜を育てるための牧草地も必要。つまり肉食は自給自足以上の穀物を必要とするので環境破壊が起こりやすい。牛肉1キロをつくるのに飼料は11キロ必要。高級和牛なら20キロ。

 《さらにもっと根本的な解決策ということでいえば、「培養肉」の開発がある。牛の筋肉細胞をちょっと取って、それを培養していくというもので、肉を取るために牛を屠殺しなくていい。理論上は牛1頭からすさまじい量の食用肉を生み出すことができるということで、世界でも注目されている分野だ。》

 障害中年乱読日記66・67『世界堵畜紀行』(内澤旬子、解放出版社、2008.11 掲載)は、われわれが日頃いかに屠殺から目を背けているかを教えてくれた。日本では屠畜業者に対する偏見がいまだに強い。差別するひとも肉を食べているのに、と内澤は痛いところをついてくる。

厄介なエネルギー問題


 原発も太陽光も風力もみんなダメ。日本にふさわしいのは石炭による火力発電なのだが、インチキSDGsに邪魔されて本領が発揮できない。火山大国日本に最も適しているのは地熱発電。障害老人乱読日記64『地熱が日本を救う』(2014.5掲載、角川oneテーマ21、2013.3)で著者の真山仁も力説していた。政府が原発でやっていこうと決めると、もうほかの発電は見向きもされなくなってしまう。福島原発事故で東電の旧経営陣3人は民事裁判で何兆円もの支払いを命じられたのに、刑事では無罪だ。

 池田はウクライナ支援を絶対的な善と捉えることの危険性を危惧する。ウクライナは善、ロシアは悪という構造を信じ込むことは危険だと。《人間は他人から感謝されたり、褒められたり、認められたりすると、A10神経からドーパミンが分泌され、快感が生じる。》ボランティアにも当てはまる。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とまでいう。

 CO2に満ちた火星に移住したいという憧れから、空気中のCO2を取り出す機械を発明した少年がいる。その少年は、「地球温暖化を止めて地球上の77億人全員を救う」という大きな目標を抱くようになった。東大に進んだそうだから、地球の大気からCO2を取り去ったらどういうことが起きるか、じきに気づく。そのときこの少年はどうなるのだろう。


『考えるナメクジ』(松尾亮太著、さくら社刊)
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 そういえば『考えるナメクジ――人間をしのぐ驚異の脳機能――』(松尾亮太、さくら社、2020)の中におもしろい一節を見つけた。著者がどの大学の何学部を受験するか迷っていたころのこと。《当時は地球環境問題がクローズアップされはじめていた時代であったこともあり、正義感あふれる若者だった筆者は「自分が地球を救う!」と意気込んで、工学部の環境系学科を志望していました。/しかし、なにかの話の流れで母が、「べつに無理してあんたが地球を救わんでもええ。人類はじき滅亡するから、好きなことをやったらええ」といいました。/このニヒルな言葉には目からウロコでした。》そうか俺がわざわざ地球を救うこともないかと好きな理学部へ志望を変えたという。

 《もっともSDGsの中でも「平和と公正をすべての人に」「人や国の不平等をなくそう」「ジェンダー平等を実現しよう」などは社会の意識の問題だから、こういうかたちで啓発していくこと自体は悪いことではない。また、「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」「安全な水とトイレを世界中に」などもインフラ整備の話なので、途上国への支援をしていくことも必要だろう。》
 
 結論として池田は「余計なことはしないほうがいい」と述べている。同感だ。日本には昔から「質素倹約」、「もったいない」という精神がある。それで十分。