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毎月更新

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口で本のページをめくり、頭に付けたレーザー光線でパソコンをあやつる

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 障害中年乱読日記(2003.6〜2008.12 掲載分)→

バックナンバー「障害老人乱読日記」(2009.1〜前号 掲載分)→


おねがい

今まで読者からいただいた感想を「読者の反響」として掲載することにしました。
ただ私はパソコンが苦手なので以前いただいたメールのすべてを見つけることができません。
「あれ? 自分の出した感想が載ってない」とおもわれたかたは、
ごめんどうでも号数と書籍名を添えて再度お送りいただけるとうれしいのですが。
なおこれからも毀誉褒貶いろいろなメールを期待しています。(藤川景)


 111(2018.5掲載)

 『すばらしい黄金の暗闇世界』
 
(椎名誠、日経ナショナルジオグラフィック社、2016.6)

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「ナショナルジオグラフィック」といえば、アメリカの中流以上の家庭では必ず購読しているという雑誌だ。 世界各地の主に秘境と呼ばれる場所の写真を掲載している。ナショナルジオグラフィック協会はもともと地理学の普及をめざして 1888年(明治21年)アメリカに設立された非営利団体。――もっとも太平洋戦争中、史上初の米本土爆撃をおこなった風船爆弾が、 いったい日本のどこから放たれたかを、風船に付着した砂から千葉・茨城あたりの海岸と特定してそこを空爆したというから、 ナショナルジオグラフィック協会は世界中の土のサンプルをそれ以前に収集していたわけだ。 本書には椎名が主に「Webナショジオ」に連載した文章が集められている。

●椎名円熟期の著作

 それはともかく。ジャケットの写真は水中洞窟のなか、真っ暗な背景に巨大な岩石とロープをたぐりながら浮いている人物が黄金色に浮かび上がっている写真で、 タイトルどおり。世界の辺境を旅してきた椎名が数々の「黄金の暗闇世界」についてまとめて語るのだ、と思った。 冒頭にグレートバリアリーフで洞窟に潜っているとき突如閉所恐怖症に陥り、船に戻ろうと方向転換して背中のボンベが岩に引っかかって パニックに陥ったときの恐怖を語っている。まさにジャケットの写真を彷彿とさせる。

 そのあとにつづく文章も、世界各地の地下住居に住むひとびと。椎名の娘さんが翻訳した『モグラびと』(集英社)に関する文章によれば、 ニューヨークの廃線になった地下鉄やトンネルにたくさんのひとびとが住んでいるという。 巨大なドブネズミがいて、それを焼いて食料にしているというから、いかにも「黄金の暗闇世界」というタイトルにふさわしい内容で、 読者はワクワクせざるを得ないだろう。ところが後続の章には「黄金の暗闇世界」らしきものが出てこない。いったいどうしたことだろう。

 しかしまあたくさん本を読んでいること。日本一の書評家だから当たり前のことだが、膨大な数の書籍に目を通している。 1944年生、本書上梓の時点ですでに70歳を超えている。いかに世界中の辺境を旅してきたとはいえ、もう新しい辺境ものは書けないだろう。 半生の体験を書斎で掘り下げるという時期に入ったのだ。

●氷の家イグルー

 たとえばエスキモーについては『極北の放浪者エスキモー』(G・ド・ポンサン、新潮社)が紹介される。 エスキモーの氷の家イグルーは、マイナス40度の外より5度ほど暖かいだけ。1930年代の話だが、エスキモーの生活はほぼ動物と同じで、 食べるのも排泄も同じイグルー内。糞便はバケツの中だとか。食べかすはイグルー内のあちこちに捨てるし、服は着の身着のまま。 シロクマやカリブーの毛皮が布団代わり、当然いろんな油や液体の残滓にまみれているが、みんな凍っているので不衛生ではないようだ。

 椎名自身の体験談は、さすがに描写が細かい。ロシアのユピックという極北民族の外出着の描写。 《まずパンツ一枚になる。それからシロクマの毛皮のつなぎの上下服を、毛のついているほうを内側にして(肌のほうにむけて)着る。 この瞬間が死にそうに寒い。やがて(裏オモテ)サカサぬいぐるみ状態になる。 この上に今度は毛を外側にした毛皮のやはりつなぎの上下服をぴったり合わせて着るのである。 最後に二重の手袋をしてシロクマ皮の靴を履いて準備終わり。》最初は全身ガタガタするほど寒いが、 風を完全に防ぐことができるので犬ぞりに乗って走ってもいっこうに寒くないし、犬ぞりから落ちてもたいして痛くない。

 エスキモーは、氷のイグルーの中でもこの服のまま。《だからちゃんとした毛皮の寝袋に入って寝られるときは 夫婦者などは衣服は全部脱いでハダカになって抱き合って寝ることことのほうが多いようだ。》 なかでなにかをはじめてもほかの者は気にしない。むかしは旅人に自分の妻を暖房代わりに提供したという。

●エスキモーは差別用語か

 「エスキモー」ということばは「生肉を食うひとびと」という意味で、「文明社会の良識人」はそんな差別的呼称はやめようというので、 「イヌイット」(真の人間)と呼ぶ運動を始めた。《けれど北極圏にいくと実際そこに暮している人々は自分らを「エスキモー」と呼んでいる。》 彼らは生肉が本当に好きで、生肉を食うことに誇りさえ持っているからだ。

 森林限界を過ぎたところには火を熾す木がない。生肉を食べ、生血を飲むことで必要なビタミンなどの栄養を摂らなければならない。 温帯地方に住む多くの「先進国」のひとびとが「エスキモー」は差別用語だからそれをどうこうしよう、などという立場にはない、と椎名は憤る。 《現に帰国してその体験を新聞や週刊誌などに書くと必ず「イヌイット」と校正に直された。「わたしたちエスキモーは……」と彼ら本人が言っているのに、 日本ではさしたる説得力もないまま絶対使ってはいけない言葉になっているのだった。》 ここが椎名のいいたいことのキモだ(「暗闇社会」とは日本のことを指しているのかもしれない)。 ほかの本でも、自分が現地のひとびとから聞き取った地名をそのまま書くと、こざかしい校正マンがパソコンに出てくるべつの発音を書き入れてくると怒っていた。

 だがエスキモーの暮らしにも、アメリカやカナダのスーパーマーケットが進出し、エスキモーたちの食生活は生肉からビッグマックにかわり、 一気に太りだした。前出ロシアのユピックの住む地方はあまりにも辺境なのでスーパーなどなく、昔ながらの筋肉質のスリム体型だ。 《同じ年に横断的にこれらの違いを見てきたので、食と健康をめぐるわかりやすい因果関係をある程度見てしまったような気がする。 /巨大スーパーに並ぶ夥しい種類の食物を無尽蔵に食べている温暖地帯の先進国の人々(われわれもそうだ)よりも、 生肉やその胃や腸の中身や寄生虫を食っている極北に住む人々のほうが基本的に健康のようだ、ということになる。》

 厚生労働省はわれわれに3大栄養素(タンパク質・糖質・脂質)を1日に何グラム以上バランスよく摂取しなければいけないというが、 パプア・ニューギニアの男を見ると、1日3食タロイモばかり食っているのに筋骨隆々としている。説明してほしい。

●冬期鬱

 ついこないだ『ぼくは眠れない』(新潮新書、2014.11)を読んだばかりだ。その本には書いてないことを発見した。 《簡単にいうと、同じ薬を飲んでもすぐ「効く」ときと「なかなかしぶとく効果がない」ときがある、ということである。 そしてこれには一定の周期がある。/一番顕著に「効かない」状態が出るのは一月から二月頃を頂点とする冬で、 これもそれらに関連する書物から知った言葉でいえば「冬期鬱(うつ)」の時期と一致する。》

 それは寒くて布団や毛布がかさばんで寝心地が悪いからだよ、とおもったら、椎名は逆だという。 《冬は部屋を暖かくして、よく乾燥したふかふかの布団にもぐり込み、あらゆる精神的拘束や鬱屈から解放され、 一番条件的に安心して眠りに入れる時期であるのに、ぼくはこういう「安穏なる」状況がむしろストレスとなるのである。》 それどころか、そこそこ冒険的な旅に出るとき「不眠症」はあまり気にならないという。 《電気や水道もない、隙間からいろんな虫などが入ってくる、という普通の感覚でいえばたいへん条件の悪い場所であればあるほど ぼくはアマノジャクのようによく眠れたりするのである。》ぬるま湯的な世界よりも動乱や冒険に向いたひとなのだろう。

 それを傍証するようなエピソードも出てくる。モンゴルでチンギス・ハーンが着けたのと同じ鎧で身を固め、  総勢50騎ほどの兵士を引き連れ草原を突っ走るシーンを撮った。これはすこぶるいい気分だった。  《そのとき感じたのは、たとえ一時のダミーの軍勢だとしても、武器を持った兵士を従え、自分も腰に剣を持ってずんがずんがと行進していくと、  そこらを歩いているヒトが邪魔に見えてくることであった。唐突な感情だったが、そういう奴にむかって馬を走らせ、  馬上から槍や剣で殺してしまいたくなる。》騎馬民族の征服欲の基盤は、こういう馬上からの視線にあるのだろうと斬新な意見を述べている。

●アマゾンの毒ども

 なんといったかなあ、むかし読んだ本の中に、アマゾンの川には人間の穴という穴に入りこむ小魚がいて、 これがピラニア以上に危険な生物だという話だった。本書で椎名が挙げているカンジルという食肉ナマズがそれだろうか。 《二〜四センチと小さくいかにもいやらしいピンク色をしている。/こいつは人間から発生されるアンモニア臭にやたらと敏感で、 川のなかで小便でもするとたちどころにかぎつけて川の中の小便の水流をもの凄いスピードで逆のぼって尿道の中につっこんでくる。》 尿道に入るとえらを突っ張って針の返しのような状態になり、絶対に引っ張り出せない。 《しかも水ぎわにしゃがんで小便している女の尿道まで突入してくるヘンタイだ。女たちは警戒して水ぎわに行って洗濯などするときは パンツの下にカワラケ(素やき)で作った三角形の防護具をつけている。》スンゴイ話だなあ。『オーパ!』(開高健)を思い出す。

●ヒトの糞で育ったものを食う

 いやあ、こういう話になると椎名は俄然ゲンキになる。椎名はイソメのたぐいが大嫌いなのだが、みんなで釣り上げた高級魚を食っていると、 だれかが「この魚の肉はあのイソメなどを食ってできているんですよね」などといいだす。だいぶショックを受けるようだ。

 ニューギニアで野糞をしようとすると、野生のウリボウがやってくる。コトが終わるとみんなして競うようにそれを食う。 成長すると人間がそれを食うのだが、その肉が何で形成するかなどは考えない。食物連鎖というのだろうか。

 最後は椎名の十八番で締めくくろう。《タイのメナム川を遡行していたときは、川べりの食堂で安いエビをもっぱら食っていた。 出発まぎわに便所にいくと、川の上にたてられた櫓式の便所で、五メートルぐらいの高さにタテ、ヨコ、スジカイなどいろいろ複雑に丸太が組まれている。 だいぶ上からぶっぱなされるから人間のクソはそこらにも飛び散っているのだが、大きな川エビがそれにいっぱいとりついてクソを食べている。》 要するに人糞には栄養素がたっぷり含まれているということだ。江戸時代の汚穢屋は、 貧乏長屋の便所の糞尿より大名屋敷の糞尿を高く買ったという話も思い出される。