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毎月更新

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口で本のページをめくり、頭に付けたレーザー光線でパソコンをあやつる

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 障害中年乱読日記(2003.6〜2008.12 掲載分)→

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おねがい

今まで読者からいただいた感想を「読者の反響」として掲載することにしました。
ただ私はパソコンが苦手なので以前いただいたメールのすべてを見つけることができません。
「あれ? 自分の出した感想が載ってない」とおもわれたかたは、
ごめんどうでも号数と書籍名を添えて再度お送りいただけるとうれしいのですが。
なおこれからも毀誉褒貶いろいろなメールを期待しています。(藤川景)


 106(2017.11掲載)

 『戦場体験者 沈黙の記録
 
(保阪正康、筑摩書房、2015.7)

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(10月号からの続き)

  V 戦場における性

●軍医・衛生兵の冷静な証言

 保阪は延べ4000人の戦場体験者にインタビューしているが、みんな主観でしか語らないと気づく。 ただ、軍医や衛生兵は前線にあっても相手と命のやりとりをするわけではなく、後方の連隊本部や師団司令部などに配属されていた軍医や衛生兵には 「戦場」を客観視している者が多い。それに気づいて以来、なるべく軍医・衛生兵にアプローチするようにした。

●軍隊最大の敵は神経症と性病

 《これは私の責任で書くのだが、軍医たちが困惑した戦場の話は、二点に尽きる。その第一は、戦場での神経症である。 実際には今なお隠されているが、どれほどの将校や兵士が神経症に悩んでいたか、軍医たちはさりげなく証言してくれる。 第二点は、「軍隊と性」の問題である。この問題については、現代社会では従軍慰安婦が採りあげられているが、 それとはまったく別の視点で軍隊と性について考える必要があり、この点では軍医の証言はきわめて重いといっていいだろう。》さあ何が語られるのか。

 ニューギニアで200人の部隊がアメリカ軍に包囲された。包囲されて2、3日たつと大隊長は奇矯な行動をとるようになった。 たとえば副官がアメリカ軍の動向を報告すると、「おまえはスパイだ」といって日本刀で切りつけようとする。若手将校たちは大隊長をついには幽閉してしまう。 「まあひどいもんでした。こういう陸大出の大隊長は、どんな状態になっても避難したり、冷静になって考えたりする思考は決して持ってないとわかりました」 陸大出ということばの細かいニュアンスはわたしにはよくわからないが、文脈からして頭でっかちという意味だろう。 《昭和陸軍を率いている将校などの職業軍人はまさに軍官僚としての資質のみを持っていたのだとわかる。》 窮地に立たされたばあい硬直した判断しかできないという意味か。

 アメリカ軍では各部隊にチャプレン(教誡師)が同行し、常に説教をし、新作戦決行日の前日には「あなたたちの魂は天国に召される」と死を前提の説教をした。 同じ死ぬにしても心の安寧があった。死んで神のもとに行けるなら本望なのだ。一神教の強みでもあり、マインドコントロールの底知れぬ恐ろしさでもある。 そこへいくと日本の軍人には神信心というものがない。徳川時代、寺社に参るのは女子供と乞食だけで、武士はみな無神論者だった。 この武士が明治になって軍人になる。そして軍官僚、すなわち責任あるエリート群になっていったのだ。 下士官、上級将校が精神のバランスを崩せば兵士も精神異常になる。かくして部隊全体が内部から崩壊していった。

●「おい軍医」から「軍医さん」へ

 軍医は戦況が厳しくなるにつれ、立場が強くなっていった。《戦況の悪化とともに「おい軍医」といばりちらしていた将校も、 「軍医さん」と媚びる口調にになるというのだ。》軍医たちの手記や証言によって、戦場での慰安婦問題を見ていくと、 そこにはそれぞれの国の軍隊が背負っている社会的環境がそのままあらわれていることに気づくという。 《軍隊の内部では「性」はあまりにも正直に軍隊の体質をそのまま露呈してくる。昭和陸軍では占領各地でいかに性病が多かったかがわかる。 またその施設(慰安所)の様子はどうなっていたか、そのことも正直に語り伝えておかなければならないだろう。》

●従軍慰安婦の強制連行などなかった

 従軍慰安婦といえば、Wikipediaによれば、「吉田某氏が1980年代に、太平洋戦争の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行(「慰安婦狩り」)し 日本軍の慰安婦にしたと「告白」。これがメディア、特に朝日新聞に長らく真実として取り上げられたことにより、 国際問題化している「慰安婦問題」醸成の大きなきっかけとなった。吉田氏は1995年に創作であることを認めた。」 2014年には朝日が自己批判したのだから、もうそれでいいじゃないかというのが保阪の意見。《もともと新聞の歴史的事実の報道には、 虚報や誤報がつきもので、その事実の訂正によってひとまず片がつく。》と太っ腹なところを見せている。

   ただし従軍慰安婦のなかには、女衒まがいの業者が性的経験もない若い女性をだましてつれてきたケースもあったと軍医たちは証言している。

 日本軍が若い少女を強制連行したのではなく、朝鮮人の女衒・売春婦が強制連行したのだとすれば、例の在韓日本大使館の前に設置された少女像は、 韓国人の恥の象徴といえる。わたしはけして日本人が清廉潔白だったというのではない。 朝鮮人・中国人の強制連行および大量虐殺はあったが、いたいけな少女を集団拉致して慰み者にはしていない。

●駐屯地に現れる売春婦

 《軍隊と性について語るときに、幾つかの前提、あるいは基礎知識となる史実をあらかじめ知っておく必要がある。》それは――。

 1.軍隊にとって最大の敵は「性病」である。
 2.兵士たちの性は部隊によって管理されている。
 3.性の処理は公認の慰安施設を利用する。
 4.駐屯地の周辺には現地の売春婦が必ずあらわれる。
 5.前線で戦う兵士には慰安施設はない。
 6.売春婦の性病検査は毎週1回行われる。
 7.兵士、将校、司令官の性の相手はそれぞれ異なっていた。

 《軍隊にとって最大の敵は「性病」である》などということをいったひとがかつてあっただろうか。 それほど重大な問題であったことをわれわれは認識しなければならない。軍病院は、第1病棟が内科、第2病棟が外科、そして第3病棟は性病科だった。 いかに性病患者が多かったかをしのばせる。100人の兵士がいたばあい、15人が性病にかかったらこの部隊は全滅したのと同じだという。 だから新兵は、とにかく欲望に負けるなという教育をされる。だがひとたび戦場に出ると、 とくに(煙の関係で)本部から離れたところに設営される炊事班のところには売春婦があらわれる。《中国戦線でも南方戦線でも、 こうした性病持ちの女性(とくに重症患者)を意図的に日本軍の周囲に暗躍させるケースもあった。》これも軍事作戦の一環だ。

 性器が欠如してしまう兵士も出た。そういう兵士専用の病床テントを作るだけで膨大なエネルギーを費やさなければならないから、現在の対人地雷のようなものだ。

 インドネシアに慰安所ができることになった。軍隊内と現地一般住民間に性病が蔓延するのを防ぐため、さらに現地婦人を性のはけ口にしないようにするためだ。 「障害中年乱読日記」bQ4『戦争が遺したもの――鶴見俊輔に戦後世代が聞く――』(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二、新曜社)には、 鶴見がインドネシアで「士官クラブの設営にたずさわる。ハーフ・キャストというオランダ人と現地人の混血女性の娼婦もいたが、 大半は地元のしろうと女性。慰安婦にアゴで使われる。」という告白が出てくる。慰安婦をあごで使うのではなく、使われるという点が意外で興味深い。 オランダ女性は日本人を劣等民族とみなしていたのだろう。総じて占領軍には冷たい視線を投げかけるのが世界の常識。ヘイコラするのは日本人だけ。

●将校に取り入る女衒

 さて一例として、朝子という日本語の堪能な韓国人が経営する慰安所が出てくる。こういうばあい、朝子も元慰安婦だったケースが多い。 ま、遣り手婆といったところか。兵士相手の慰安所では1週間に1度かならず性病検査がおこなわれた。慰安婦は全員インドネシア人。 「一人の罹患者も出すまいというわれわれ軍医の努力にも拘らず、六人の性病罹患者を出してしまった。『持って帰るな南方土産』という壁に貼られた標語が、 われわれをあざ笑っているようである。」

 新しくやってきた女性のなかには、明らかにまだ少女といえる者がいて、検査をおこなうと男性経験がないようだ。 こういう場で働かせたくないので「体力的に無理」という判断を下すのだが、女衒は「ここでダメならべつの慰安所に連れて行く」という。 少女に話を聞くと、「喫茶店で働くといわれました。1日3度、肉と魚でご飯が食べられ、お金のほかに洋服がもらえるといわれました。 もし逃げたら憲兵に捕まって殺されるといわれました」これでは軍医も手の打ちようがない。女衒一掃という発想はわかなかったのだろうか。 こういう輩は闇に葬っても胸は痛まないだろう。ところがそうできない事情が日本軍のほうにもあった。

 《軍医たちは黙ってこうした話を聞くだけだった。こうした女衒まがいの現地人は必ず日本軍の将校の「誰か」にとりいっていて、 たとえばこのときもそうだったのだが、そうした将校に少女を水揚げさせている。》この一節を読んで怒りをおぼえない者はいないだろう。 保阪も激怒していて、こうまでいっている。《日本軍の慰安婦問題を論じるときには「軍隊と性」という視点が必要であり、 その中でも将校個人の不行跡は徹底的に暴かれるべきで、それは日本軍の正規の枠組みとはかけはなれていることは明確にすべきであろう。 (中略)このことについてメスをいれなければ、真にこの問題と向きあったことにはならない。》もうカンカン。

 これでも怒りはおさまらない。兵隊向きの慰安婦は現地女性だが、では将校はどうか。《たしかに現地の女性であっても、 兵士向けの女性とは別の上流家庭の女性であったり、あるいはオランダ人、イギリス人などの捕虜収容所の女性であったりした。 そして司令官クラスになると、はなはだしいケースでは神楽坂や新橋から芸者を呼び寄せていたこともあった。》 日本から芸者を呼び寄せるのは良心的といえないこともないのでは?

●現地女性は素人、日本人女性は玄人

 軍隊内の性を語るとき、最も重要なのは、性病患者をいかに出さないかであった。 《性病は日々の生活を共にする隊内ではたちまちのうちに広がっていくからである。この広がりは兵士のあいだでは恐怖を生み、兵士たち相互の信頼も崩れていく。》

 新兵むきの『内務の躾』には、あえて「性病」という一項があり、性病は亡国病であり、恥さらしの筆頭であると説明、それでもかかったら、 一日も早く治療を受けよと説いている。「殊に危険なのは淋病で疫病の膿を入浴浴場や洗濯の時など、辺り構はず撒き散らされた日には実に堪つたもではない。 若しこの膿が目へでも入れば一夜のうちに風眼になつて目が潰れてしまふのだ。軟性下疳の汁が傷である局部へ着けば、 そのまま伝染してやがて横痃(よこね)になつてしまふ。」と詳細にその害毒を警告している。

 それでも性欲を抑えきれない男の悲しさ。シベリア出兵では7万人の出征兵士のうち、なんと1万人が罹患した。 《なぜこれほど多いか、といえば、日本軍が駐屯している本部周辺にロシア人を初めとする流れ者の私娼があらわれ、 兵士たちは安易に売春に応じたからと報告されている。》どうも保阪がいわゆる「韓国人慰安婦問題」を重く見ない原因はここにありそうだ。 その1、むこうから寄ってくるんだからしかたない、その2、強制連行は朝日新聞の誤報であったという2点。 保阪ほど史実に厳しく取り組むひとがいうのだからまちがいないだろう。わが日本をふりかえっても、進駐軍に対してパンパンたちは強制的に拉致されたかといえば、 そんなことはない。飢えをしのぐにはその道しかなかったのだ。売春が合法であった点も見逃せない。

●慰安所設置の経緯

 日本軍の慰安所設置には、部隊長・主計将校・軍医の3者が関わっていた。

 兵士のなかには自分の食料の一部を彼女たちに渡し歓心を買った者もいる。その場限りの愛情も生まれたのだろう。 見返りはコンドームなしのセックス。これが性病蔓延の原因なのだろうか。「突撃一番」が配布されていたはずなのだから。 ちなみに現在のオリンピックでは選手1人あたり3個ずつ配られるのが習慣と聞いたが、 リオ五輪ではトイレに置いてあって取り放題だったとラジオの特派員がいっていた。貧困国の選手が富裕国の選手に身を売るのだろうか。 それとも人一倍元気な青年たちが一堂に会するのだから……イカン、脱線。

 《もとより「軍隊と性」の問題は、日本軍だけの問題ではない。歴史上でも、そして二十世紀の各国にもそれぞれの政治体制、国民性の問題として残っている。》 戦後、進駐軍向けの慰安所に並ぶアメリカ兵の写真が本国で掲載されるや、婦人団体が問題にして廃止になったことがあるそうだ。 アメリカ側の軍事指導者は「国内世論」をひどく恐れていた。それなら戦後から現在まで沖縄における強姦事件の資料(膨大かつ具体的なものがあるのだから) それをアメリカの婦人団体へ送れば、沖縄問題解決の一助になりそうな気がする。

●「アジアを解放する」という欺瞞

 1942年、衛生兵の今澤は英国軍が退いた後のクアラルンプールに進駐、衛生兵たちはハンセン病患者収容所に行き、 在留邦人が抑留されていないかどうか調べた。この病院には複数のインド人医師と数名の看護婦がおり、施設は近代的、電気も自家発電で、 患者には親切。衛生兵たちは「さすがに100年以上の実績を持つ英国の植民地行政はちがう」と感心したという。ちょっと待てよ、話がちがうじゃないか。 ヨーロッパ帝国主義に抑圧され搾取されているアジアを救うというのが大東亜戦争の公的な目的だったはず。クアラルンプールに入った日本の機械化兵団は、 国産車に替え押収したシボレーを中心とした部隊に編成されたという。ダメダコリャ。

 シンガポールからジャワへ向かう船上での感慨。「アジアの天地から白人を追い払えば、アジア民族の黎明が来ると信じて戦争に身体ごとぶつけていたが、 英国の誇る東亜艦隊の牙城シンガポールを陥落させれば大手を振って日本に帰れるというはかない夢も今は遠く、 激戦のあと生々しいシンガポール港もやがて視界から消えていった。(中略)三百五十年の長い間、オランダの植民地政策の犠牲となったインドネシアの民衆を、 おれたちが今こそ救うのだという気負いが私にはあった。私たち衛生兵は仲間どうしでそういう話を交してヒロイズムにふけっていた」

 劣等国(愚かな者が支配する国)が先進国を支配するというのは、文化文明、道徳あらゆる点において無理な話なのだ。